2012.05.16

写実:サラエボ墓地の雪

16

雪が大地を覆う中


墓標は佇む。


まるで、いたずらをして廊下に立たされた少年のように
いたずらの時の快活さはとうに忘れてしまった背中のようだ。


墓標は主張している。
名前やら
生を刻んでいた時間やらを。


いつも墓標をたてる時、
なぜだろうね
他の墓標は風景となる。

はっきり境界を作って
風景となった他の墓標を消し去る努力を、人はするのだ。


自分たちの葬った人以外
かまってられない。


きりがないのだ。


そうやって差別をして、
あたりまえのように僕らは祈るものと祈らないものを作り上げる。


雪が大地を覆う。


土地の区分けが見えなくなり
ランダムに墓標が佇んでいるように見える。


すると


僕らが区分けた境界などなくなり
意識は土の中へ。


僕らの愛した人も
誰かの愛した人も


土の中で分解され
境がなくなる。


名前も、皮膚も、背景もなく
等しくつちくれと化す。


故人を窮屈な区分けの中に押し込めているものは
僕らの勝手な通念でしかない。
彼らはとうに、ほら、自由だ。
解放され、どこまでも。

雪はそのうち沁み入る。



僕らの愛した人だった
誰かの愛した人だった
大地へと
分け隔てなく。

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2012.05.15

写実:バルセロナの海岸

15

波はしぶきをあげ、真白の塊となって砂浜に打ち寄せていた。
その度に砂浜から砂を持ち去り、やわらかいすり鉢を作り上げていた。
その波の軌跡は
影のように、さまざまな違う漆黒な波形を砂浜に残している。
そして、もう何波続いているかなんかわからないように
波打ち際は黒く塗りつぶされていた。

その先には釣り竿が二本たててあったが、
その主は家族との会話に参加していて、火にかけた鍋を忘れてしまうように、
彼の背は海と竿を向き、
でっぷりと肥えた腹はその妻と子供に向けられていた。

時は夕暮れ。
車のライトはまだ道をちぐはぐに彩っているにすぎなかった。
スタジアムのライトも未だ使われていない。

そろそろ釣りには仕舞な時間だ。
釣果はあがったのだろうか。
そもそも期待などしていないのか。
釣果があればすでに立ち去ってもいいころあいなはずだ。

彼らのほど近くに一羽の鳥が砂浜に佇んでいる。
誰からも安心な距離感。
外敵がきたらいつでも飛び立てるといった緊張感から解放されるぐらい
誰もいない砂浜は広い。
視る側は鳥から同心円を想像し、鳥のまわりを彩る単一の狐色の砂に安心感を感じる。

さらに後方、均一な距離間隔でゴミ箱と見張り台が設置されているが
どちらも使われていないほどあるべき中身が見あたらなかった。

この寂しさは時間のせいか季節のせいか
はたまたそのどちらもか、
寂しく思うのは自分のせいか、この風景の寂しさが僕に作用したのか、
そのどちらもか、知る由もなかった。

空には形のない雲が覆っていて
垂直ではなく水平を、海と同じく主張していた。


雲の起源
海の起源
空の起源
風の起源


世界中色んな地方でそれを知るものが神だという神話があるという。
なるほど、人間は昔は分相応ってもんをわかっていたのだ。

海の中から頭がいくつか出ている。
入り始めのはしゃぐ姿はとうにすぎ、
かといって、出るのも億劫だ。
名残り惜しいというセンチメンタルというよりも、
波にただただ揺られている。
「あいつが帰ろうといったら帰るのに」
全員が全員そう思ってそうな夕暮れだ。

向こうでは、母親が声をかけ、
まってましたとばかり、大急ぎで走って海を出る影が見える。

海に浮かぶ頭の揺れがいっせいに止まる。


ああ、夕方の終わりがすぐそこまできている。

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2012.05.08

0508

20120508


The precious day.

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2012.04.15

大人になるって


僕の兄は


男である前に、僕にとっては兄である。
僕が生まれる前から、彼は僕の兄である。


それは


母にも
父にも


言えること。


女性である前に
男性である前に


母は僕にとって母であり
父は僕にとって父である。


大人になるって
どういうことか


唐突だけれど、上に話したことが1つのヒントとなる。


自分にとってある人が
自分の人生に入り込んで来る瞬間ってのがある。


それは、けれど、その人が闖入してくるのではなくって
実は自分がその人に入り込んだ瞬間のことを言う。


たまたま出会ったその時、その文脈から
関係性からその人を外してみて、
その人の過去や未来を想ってしまう。


なんだろう、ただすれ違うのではなく
そう想ってしまったら、自分の心のどこかにその人のことが刻まれ
その人のスペースができてしまう。


大人になるって
どういうことか


それは
兄に母に父に、祖父に祖母に、
彼らのために心のスペースが出来上がることなんじゃないか
そう思う。


兄を兄としてではなく
同世代に生きる1つの個性として
母を母としてではなく
僕らと同じように、すこし早く生き抜いてきた女性として
父を父としてではなく
僕らがこれから体験するかもしれない、喜びや苦しみを知っている先達として
見られる瞬間を持つこと


それが大人になるってことの1つなんじゃないかって
何故だかふと思う時がある。

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2012.04.08

苦労

「苦労なんて知らないじゃん?」
そう言われて一瞬むかっとする。

それから、ちょっと首をひねり、考える。
思い出す。
今までの色々を。

冷静に思い返すと、いささかそれぞれパンチがない。

さしせまった切迫感ってものを取り払ってしまうと
日常で起きる苦労話なんてのは、
そう、
たいしたものではない。

そもそも「苦労ってのがなんなのか知らない」ということだ。
「苦労」も慣れてしまえば作業になる。
生きているってのはなにかを常に経験することだし、
「苦労とはすなわち〜である」と定義付けたとしても、
生きているうちにそれは再定義が必要になる。

苦労を知っていると思っていると
苦労が想い出話に変容していることに気付かなくなる。

そう考えると
苦労から常に解放されている気分になり、
「苦労を知らない」と突きつけられたモノに対して

自然と笑みで返すことができるようになった。

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2012.04.03

『The Road』ジョン・ヒルコート (監督),コーマック・マッカーシー(原作)


ROAD=道はどちらかというと東洋的思想に属します。
「すべては道半ばである」。
柔道しかり、剣道しかり、茶道etc。
道は決して目的地ではない。
その道を行くということは、道半ば、完成されない道程であるとの宣言でもあります。


世界が滅亡した先のものがたり。
父と子はただひたすらに道なき道を南へ。
人類は自ら道を放棄するか、他人の道を汚し、犯し、殺すか。
そんな世界が舞台です。
「南に行き、海に出れば全てがかわる」
父はそう子供を諭し、歩み続けます。
でも、そんなこたあない、そうわかっている。
でも歩き続ける。
道を歩くこと、それはここでは実は未来をサスペンドすることでもあるのです。
大半の人々が命を断つ中、歩き続ける。
未来を希望し
未来をサスペンドする。
これって「生」そのものなんですよね。
未来のために生き
現在のために生き。

そして、父は自分が生きている間に事態が好転するなんて望んではいない。
辿り着くべき何処かへ行けるとも実は思っていない。
でも、希望を持っている。
自分個人では到底叶えられそうもない、なにか、未来を
彼は息子に見いだす。
自分がすでにそのとき、地上に存在していないだろう未来に。
きっと実際に自分の死を意識しているわけじゃない。
でも、本能的に、希望というものを明確に約束された未来ではなく
馨しき予兆を彼は信じている。

道の先には目的地がきっとある。
そして歩いている当の本人はそれがどこだか知る由もない。

世紀末、この世の終末と道が
こんなに相性の良い物だとは。。。。


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2011.10.19

世界







とーん


と落ちた。




音もなく広がった。


どこまでも広がった。


世界は僕が感知できないほど広いのだと。






とーん


と落ちた。


僕は仰いだ。


どんどん仰いだ。


目を見開いて、


しかめっつらをして、目を凝らして。


世界は僕が感知できないほど高いのだと。




僕は


なにもやることもなく
どこもいくところもない。


僕は


また落ちてくるのを


じっと待っていた。



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2010.08.18

イルミネーション







都市近郊の工場の食堂から

窓の外をながめる。

どんよりとした曇り空だ。



窓の縁には電線がちらりと
パーティの後の使い道のない飾りのように垂れ下がり

ガラスは埃と、ぞうきんがけの後の拭きムラで
その先の風景を廃墟のように映し出す。



不意に従業員用のカップラーメンの自動販売機が



ゴウン



と音を立てる。



遠くの駅を新幹線が通り過ぎる。

新幹線はその駅にはとまらなかったはずなのに
新幹線に連れ去られたように

ホームに動くものはなにもない。



駅周辺のスーパーかなにかのイルミネーション以外

すべてが曇っている。



イルミネーションはその店のもの1つしかなく
いくら高速で点滅を繰り返し、明滅で文字を大きく象っても
単調さと寂しさしか表現できないでいた。



この風景のどこかしらで



性的暴行が行われてようと
小学校の放課後の探検隊がその土地の所有権を主張してようと



どちらもお似合いのように思えた。



ふと

河川に続く長いなだらかな上り坂に人影がみえる。



老夫婦だ。



夫が座る車いすを妻が一生懸命押している。
坂の途中で力つきたらきっとコントのように車いすは
この風景に似つかわしくない躍動感をもって疾走をはじめるだろう。



妻のほうの荒い息づかいが聞こえてくるようだった。
足下はつっかけでなぜ、こんな散歩のルートを選んだのか不思議になった。



坂の半ばで目的地についたかのように車いすは止まった。



夫が遠くを指差している。
妻がそれに相づちをうつ。



その指の先には
河の向こうに建設中の高層マンションがあった。



もしかしたらここでその建物が出来ていく様を観察するのが日課なのかも
しれない。



草木を育てるよりいいかもしれない。



草木だったら枯らしてしまうことだってありえる。
あのくらいの年になったら枯らしてしまった草木の代わりをもう一回
育てるってどんなかんじなのだろう。



それよりはいいのかもしれない。



河の向こうの別世界の自分たちが住むこともない建築物を見る方が。



そんな思考から

携帯がなりつかの間の日常にもどされてゆく。



電話が終わり、喫煙所で一服し終わって、また食堂にかえると
窓の外は寂しいイルミネーションを残して
みないなくなり真っ暗になっていた。



強姦の現場からは加害者被害者ともに去り
あれだけはしゃいでいた探検者もいまごろ家についたろうか。



あの夫婦はどうしたろう。



僕はあの二人の足取りに体のいい物語を付け加えることができずに



一人食堂に取り残されていた。




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2010.07.11

白と黄色






出来たばかりの刑務所は
いやけに静かで清潔だった。

檻の中はからっぽで
まだ見ぬ囚人を待っている。

病院のように整然と区分けされた
その白さは
外界からの情報という菌から隔離されていた。

はじめての
囚人がなぜか1人でやってきた。
愛する女を刺したのだと。

そいつは
白人の太っちょで
肌はいやにつるつるで
伸びてきたヒゲが似つかわしくない
そんな風体で。

監守に食ってかかるわけでもなく
むしろ逆にいつも顔色の悪い監守の
身体を気遣っていた。

「ごめんな、もっと凶悪な強姦魔みたいのじゃないと
 張り合いもないよな」

すると監守はこういった。
「なあに、すぐにそういう連中で溢れかえるようになるさ」

囚人は
なにかを思い出すように妙に高いところにある
がっしりとした窓を眺めてつぶやいた。

「世の中狂ってるよな」

次の日
その囚人は
ボールペンを額に突き刺して
自殺をした。

恩赦で監守が与えた小さなコップには
タンポポが一輪挿してあった。

また、その新しい刑務所には
囚人がひとりもいなくなってしまった。






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2009.09.23

オークと葦





一面僕より背が高い葦に覆われていてた。


風が吹くたびに

葦は揺れることで風の姿を映し出していた。
その葦から次の葦へ。
その先の葦へ。
風はその足跡をつけ、

その姿がどこまでも続くことによって
一面が遥かまで葦に覆われているという帰結に達する事となる。


そして
風が一緒につれてくる
湿気と、すえた有機的な匂いが
沼の存在を示唆していて
自然というロジックがうむ美という体系を想像させた。


僕は耳を澄ませてじっとしていた。


風のようにたゆやかな葦のセッションではなく
もっと乱暴で局地的なノイズを拾おうとやっきなのだ。
彼女が動くことで葦がその場所を教えてくれる兆しを。


僕は見失っていたのだ。


彼女は唐突に僕の前にあらわれた。


白いワンピースは葦とともに軽やかに揺れていた。
その足はそれこそ葦のようにしっかりと土をつかみ。
その髪は
どちらが先に誘惑したのだろう。
風と戯れていた。


ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話「オークと葦」の
傲慢なオークと軽やかな葦の対比を持ち出すまでもなく

僕は彼女に御しきれない美しさを感じていた。


僕の「思うがまま」なんて
いささか性というスパイスがききすぎな陳腐な代物だけれど
僕は彼女に「思うがまま」にできやしない
と感じていた。


彼女の一番印象的な部位は目だった。


その目は敵愾心とも興味ともとれる強い光を僕に向けていた。


僕は彼女を探るように


彼女の瞳の色を見定めてやろうと半歩彼女に近寄った。


ザザザッ


一斉に葦が警戒音のように騒ぎ立て

彼女はその中に消えた。


僕は見失っていたのだ。


僕らの言う意味ってやつを。


風と彼女が葦にのせ、

僕から凝り固まった僕から

それを奪いさってくれたのだ。




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2009.09.12

手早く欲求を満たす。


とある政治家がこういった


 民主主義は時間がかかる。
 かかるだけならまだましだが、
 かかるだけでなにも変わらない。


与党は芸能界ばりのスキャンダルの答弁に窮することに慣れ
野党はヤジに安定感すら覚える。



世界は政治家ひとりでまわせるわけではないけれど
時勢にのれば、ひとつの軸となることはあり得る。


そんな例をはるかケネディにまで求めなければならない現状を
政治家はいつまで続けていくのだろうか。


アメリカのセックスシンボルとよばれたモンローとのスキャンダルのような
熱い夜をすごせるセクシーはそこにあるのだろうか。




ハリウッド映画



18禁なんかよりも、アニメが原作のものがはやっている。
それは世に問う形に問題がある。
18禁のきわどい表現や性描写が問題なのではない。
視聴者から子供を排除することが問題なのだ。

子供を引率する親と、それを勘定にいれないと
制作費がペイできないのだ。


エロはネットで、ブロードウェイは漫画で。


これは常識なのだ。


市場経済下での基本の基本


費用対効果。


映画でもなんでも
例えば視聴後「すっきりしない」という人がいる。

そうなんだ?
すっきりしたかったんだ?

1800円払って、あなたはすっきりしたかったんだ。
感動したかったんだ。
感動して涙を流したかったわけだ。
しかも、涙するという形は満たされるという実感をもつのにわかりやすいのだ。


最近小説のレビューで、辛口で攻めると書いている人の文章を読んだ。

「そもそもこういうタイプの男は嫌いなんだ」と主人公をけなした
結果、その作品を中身がない駄作と切ってすてていた。

そうか、あなたは物語に感情移入して、あたかも主人公のようになりたかったんだ?


プロジェクトのコンセプトを考える。


「誰が読んでも理解できる、わかりやすさを!」
社長からいつもいわれる。
その度に本を開き旅に出たくなる。
誰ともシェアできない、自分だけが感じ取った登場人物の心のひだに触れたいと思う。



裸の女神は

全てを許すとにじりよる。
欲求をすべてぶちまけていいと言い寄る。
精子だろうが身勝手な欲望だろうがすべて飲み干してあげると
すべてを欲しがる。
僕は夢中でセックスに明け暮れる。
僕は性に縛られていると思っていた。
しかし、それは氷山の一角でしかなかった。


欲望のわかりやすいカッティングエッジでしかなかった。


感覚が五感に限定されているように

欲望もそうであることに気がつく。


純粋に性欲だけが強い人ってどのくらいいるのだろう?

政治家が金と権力で女を買う場合、
彼は性欲を感じているのだろうか?
支配欲などの権力を感じているのではないだろうか?
その場合むしろ、彼は金を払わないと勃起しないのではないだろうか?



僕は

彼女が要求しているものがようやく見えてくる。

性欲なんて陳腐なものじゃないのだ。

もっと根源的なもの。

もっと複雑な欲のかたちを提示しろといっているのだ。



JFKのファックにモンローは権力を感じたのかもしれない。
ケネディはパワーをセックスに変換できるセンスがあったのかもしれない。
しかも、射精という形は満たされるという実感をもつのにわかりやすいのだ。



僕は

自分の欲と女神から逃げ出した。

僕は

いったいなにが欲しいっていうんだろう。




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2009.09.05

いともはかなくこっけいなのさ。


まわれまわれまわれ

くるくるくるくる
ひらひらひらいら

まわれまわれまわれ

きみは

みぎまわりか
ひだりまわりか

そんなことで定義づけられる。

きみは

それが

優雅か
大胆か

そんなことで意義づけられる。

そんなつもりではなかった。
なんて
回転数をさげちゃあいけないぜ。

まわれまわれまわれ

くるくるくるくる
ひらひらひらいら

まわれまわれまわれ

他人の評価なんて主観でみずもの、
でもないんだけどね。

そんなこといってると
きみがかんじてた
「あんなつもり」
ってのも主観でみずもの、だいなしじゃんか。

きみの声を刷り込んだ磁気テープ
きみの声を0/1に叩き割ったオプティカルディスク。

ああ、きみが走っている姿でもなんでもいいんだよ。
最高に相手を愛している時のセックスだってさ。
そんな冷血な客観的なアンパイアに判定してもらってごらんよ。

きみはなにやったってこっけいさ。

じぶんのなかの

最高の歌声だって
最速の疾走だって
最愛の遊戯だって

じぶんのつもりは

いともはかなくこっけいなのさ。

まわれまわれまわれ

くるくるくるくる
ひらひらひらいら

まわれまわれまわれ

息が切れるまで?
相手に打ちのめされるまで?

いんや。

きみの想いが続くまで。
きみのイメージが膨らむかぎり。

まわれまわれ。


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2009.08.23

夏の日、蝉の声


蝉がないている。


蝉といえば
僕にとって
一番印象深い蝉と言えば

病院の白い壁でけたたましくなく
あの姿なのだ。

幼きころ

川崎病の疑いがあり
その夏を
お茶の水の病院に母につれられて
通院していたことがある。

行くたびに
みたこともないような
太い注射器でめいっぱい採血された。

母は僕をなだめようと
いつも病院の廊下に設置してある自動販売機で
紙パックのジュースを買ってくれていた。
「Piknik」という森永乳業のシリーズだった。

院内は
夏の日差しの外とは違い薄暗く
膝下の薄明るい緑の院内灯が一番明るく
場末のくたびれた旅館の館内のようなさびれた雰囲気だった。
にもかかわらず、じっとり汗をかくような
すべてが曖昧な世界だった。

母が先生と話している間、僕はジュースを飲んで廊下で
待っているのが常だった。

そんなある日

いつもより
暑かったのか
塩っからいものでも食べたからだろうか
それとも
特別にPiknikがおいしかったからだろうか
僕は買ってもらったジュースを
簡単に飲み干してしまって
時間を持て余した僕の目は
白くまぶしい自動ドアの先を見ていた。

パックをちゃんとゴミ箱に捨て、
僕は自動ドアを抜けて駐車場にいた。

採血された腕のガーゼのなかを気にしながら
あてもなくぶらついていると

僕はけたたましく鳴く蝉を見つけた。

とくにそいつを捕まえようというわけでもなかったのだが
「あとちょっと」という高さに止まっていたあいつは
暇つぶしのかっこうの獲物だった。

だけれど
実際にとろうとすると
背伸びしてもかなりの差があることが判明した。
ジャンプをすると逃げられてしまうから、
背を伸ばし、指をすこしずつ上へ上へと。

そんな捕り物はあっけなく解決した。
通りすがりのどかた風のおっちゃんがすっと横に立ち
蝉はすっぽりとおっちゃんの手のなかに収まった。
けたたましい鳴き声は
彼の手の中でくぐもって、
頭上から目の前にやってきた。

「ほれ、とってやったぞ」
彼は僕の手にその手のなかのものを
端からみると
無理矢理にでもおしつけたかのようにぶっきらぼうに入れこんだ。

僕は急遽そのけたたましい騒音の発生源へとなりかわった。
まるでなりひびく目覚まし時計を場違いにならしているかのような
錯覚を覚えた。

僕は彼の姿が見えなくなるのを待ち
すぐさま蝉を手の中から追い出した。

間をおかず、母が僕を捜して外にでてきた。
僕はすぐに
手をずぼんでふいて
母の手の中に手を滑り込ませたのだ。

夏の日、蝉の声
思い出すのはいつもその日のことだった。

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2009.07.13

グランド・ゼロ






いやあね、


どーってことはないんだけどね。



ここんとこ、ずっと頭の中にいるんですよ。





その当時にね
NYに



「グランド・ゼロ」ってバンド名の
ロックバンドがいたら



しかもブレイクなんてしてなくって、
くすぶってるかんじの


どーなってたのかな、なんてね。


大ヒットしたのか?
ぺしゃんこにされて、解散?
それともそそくさとバンド名変更?


とか

どーでもいいんですけどね。






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2009.03.25

みんなこの想像力をどう処理しているというのだろうか?





大好きな作家はポール・オースターだと
宣言することができる。

だけれど、一番頭の中をぐるぐるまわるのは
と言われると
ミシェル・ウエルベックなんだと思う。

ゆがみっぷりといい
性への倒錯といい
まるでむきだしの性器よろしく シニカルに愛と性と生を語る
孤独と性をもてあまし
「自慰」というよりはむしろ「オナニー」な作風が。
都合良く美女とセックスをする主人公。
それでも充たされない有限な自分という有機体。
精液を垂れ流した後に謳歌する愛と言うドラッグがきれた
あとの寂寥の禁断症状を。

気違いじみた小説は
時には神経質過ぎる尖り過ぎたペンシルで。
時には文字が読めないような太めの筆を使って。
ウエルベックの小説を読み終えたその時って
オナニーの後のティッシュとの語らいに近い。
静寂な、性的で静的な沈黙。
孤独と無音と。

ウエルベックは、100%的中する予言を 僕に与えたもうた。

とある主人公は名声も金も美女も手に入れたが 恐れていた。
自分が年老いて年老いて
性的に不能になったあとの自分自身を。
それを想像し、ブルブルと震えるのだ。
世間を包む、メインテーマの「愛」からはじきだされ
マイノリティになった、
もう抜け出すことができないカーストの末端に押し込められた
自分を想像して煩悶してもがいて精液と涙をを垂れ流し。

僕は
性というものに振り回され
苦しんでいるそぶりをみせているが
性のスイッチが切れたあとに、それを嬉々として受け入れられるのか。
性が与えてくれるやすらぎの替わりを僕はその時見つけているのだろうか。

男と女という二項対立という世界原理を解体し
僕は一体どんな世界を見ているのか。
どんな体で綺麗な浜辺に立っていられるのか。
そんなことに煩悶を繰り返すのだ。

こんなことでぐるぐると思考を空転させ、自分自身のことしか
考エラレナイのかと 人は眉をひそめるのか。
こんなどんなどうしようもない想像力をみんな、
どんなふうに処理してるっていうのだ?

個にこだわるなんて流行じゃないとでも口笛でもふけば
なんとなくやりすごせるのか?

ああ、それはだめだ。
だって、僕は、口笛がふけないのだもの。

だけれどさ、想像してみようよ。
仕事もリタイアして、
性的スイッチもオフにして
ガード下の赤提灯で、独りポツンと飲んでいるっていう
あからさまな寂しさの ポーズをとってみたって、

その時にはさ、だれもだれもかれもかのじょも
救う術なんてしらないんだ。
神様は
性的に、つまりは繁殖という生命のシステムからすでに
その個体を除外している。
つまりその時事実的には僕は神様に スポイルされている。

それに抗って、その個体は
昨日と同じく、5年前と同じく20年前と同じく
それを維持するために食物を噛み砕き、咀嚼し、消化するという
一連の生命維持のためのシステムのスイッチをオフしようとなんて
考えない。

ああ、そうか。
神とか世界とかをしっかり考えられるようになるのって
神から世界からスポイルされて

あとはそれらから、脳という考えるシステムを奪われる
その間際にならないと
本当の意味では不可能なのではないかな。
それが、不能者の生きる意味ってやつなのかもしれない。

水を飲もうとして水をこぼした。
絨毯に広がる水と転がるタンブラー。
絨毯からダスターで水を拭う。
布にひろがった水はタンブラーに収まっていた時よりも
やたらにその冷たさを主張している。





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2009.03.09

トランペットとマネキンは同じ色をしていた。




いつのまにか



空が沈黙というものに取って代わられていた。
鳥が飛べなくなってしまって始めて皆その異変に気付いたのだった。
それは何世紀か昔のシャンパンゴールドのような色味だった。
それは共鳴音を出す間際の金属のような緊張を称えていた。



それは打楽器のような、例えばドラムのような地に属する音ではない。
腹の底に響くヤツではない。



それはもっと高音で耳にくるヤツに違いない。
それが始まってしまったら
元空だったものには断層ができ、雨の代わりに我々に降り注ぐだろう
と容易に想像ができた。
ただ、それは硬いのか柔らかいのか、熱いのか冷たいのか。
降り注ぐ沈黙は、我々にとっては比喩の世界の住人でしかなく、
それを想像する術を知らなかった。
それは空に浮くだけでなにもしてこない宇宙船と対峙している状態と似ていた。
沈黙の静けさと好対照に民衆のざわめきは大きくなってきた。



数日後



調理師見習いのせむし男が逮捕された。
手には沈黙と同じ色をしたシャンパンゴールドのトランペットを持っていた。
それを吹こうと天に向かって突き上げた時、逮捕されたのだ。
取調室では執拗な尋問が続いていた。
沈黙の緊張に耐えかねた暴徒に対するスケープゴートにしようというのだ。



「あの人に、麗しいあの人に、オレが捧げられる一番美しいものを
 捧げたかった、それだけ」



せむし男は同じ内容を拙い語彙を駆使して何百通りも繰り返すだけだった。
おどしを飲み込む知性もなく、
体罰に悲鳴をあげるほど身体も敏感ではなかった。
警察はその「麗しいあの人」に打開策を求めた。
その情報はすぐに見つけられたし、本人もすぐに見つかった。



石畳の3叉路の真ん中に、蛍光の黄色の痛んだ髪をした人がその人だった。
彼女は繊細、優雅、重厚なロココ調の素晴らしい出来の椅子に背もたれを前にして、
その歴史と気品を押さえつけるように馬乗りになって坐っていた。
その姿は粗野で厚ぼったくボンデージで締め付けられている肉はもとは
どこの肉だかわからないほどに矯正され随所にはみ出していた。
椅子は完全に彼女に組み敷かれていた。
彼女は醜かった。
ただし、そんな個人の感想レベルの感性なんてこの場で役に立たないくらい
彼女を取り巻いた警官たちにもわかったようだった。
寒いのか暑いのかわからなかった。
不快なのか快感なのかわからなかった。
ただし、その居心地の悪さの源は全て彼女にある、そう思わざるを得ない
風格を彼女は持っていた。
そんな不安定から解放されるには、彼女の前で屈辱的に見える姿で
うずくまる美男子のように彼女のとにかく慈悲を乞う以外にない、
そう思わざるを得ない妖気を彼女は持っていた。
それは素晴らしいボンデージ姿だった。



「どうせ、あいつは「お前の一番醜いとこはその醜い姿に隠れてる貧相な心だ」、
って言ったことについてうれしがっているんだろ?」



「あいつの性感帯は姿形以外ならどこだって。ウブで敏感なのさ。」
「滑稽で哀しいだろ?」



麗しき人は、左手にもっていた鞭を高々と振り上げ、首輪をはめられ、
全裸でうずくまっている男に振り落とした。
それは奇怪なほど高音で哀しい音で周囲を切り裂いた。
それは沈黙に傷をつけ、
沈黙は涙となって世界に降り注いだ。



沈黙が剥げた後にはがらんどうがあるのみで、
世界は涙で溢れた。



世界遺産の水中都市には
何世紀か昔のシャンパンゴールドのような市民の像がここかしこに散乱しているが、
それは寂れた地方都市のデパートの裏側にほおり捨てられたマネキン風情でしかなく。
たちの悪い現代アートのくずのようでしかなかった。



沈黙も哀しみも

すでにシャンパンのアルコールのようにとっくに飛んでしまっていた。




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2009.03.03

死ななきゃなれない冒険家




冒険家は冒険途中に死ぬべきらしい。
カフェで隣の席の
おっさんが熱くなっていた。

そういう意味ではね。
現代冒険をするにあたり
人類に必要なものってなんだかわかるかい??

それは
勇気?
好奇心?

そりゃそうなんだけれどね
それはインフラさ。
単独行ができる環境さ。
むき出しになれる環境さ。
北極にね
橇と毛皮と、あとウィスキー
みたいなね。

宇宙?
まだまだ未開で未熟だから冒険なんてできやしないよ。
ん?
未開だから未熟だから冒険できるんじゃないかって??
それじゃあ君は宇宙に単独行でいけるのかい?
むきだしになれるのかい?
NASAの管制塔なんかとアメリカンジョークなんて
いってちゃあだめなんだぜ?
アポロ13は別の勇敢なんだぜ?

SFなんてもんが20世紀になってなんでしきりに描かれたかわかるかい?
それはむきだしになりたかったのさ。
まどろっこしかったんだよ、宇宙でむきだしになれるほどの
技術が進歩するのを待つのが。

おっと話がそれたね。

そのおっさんの言い分ってなかなか示唆に富んでいて難しいことを
扱ってるのだ。

冒険家は冒険途中に死ぬべきらしい。

冒険ってのは純粋なことを言ってしまえばね
見た事も聞いた事も想像した事もないリスクを取るってことだとしたら、
きっと
冒険家は人生で一回しか冒険なんてできないんじゃないのか?
ってことが頭をよぎるのさ。
二回目からは一回目の追体験なんじゃないか?
「前よりも危険なリスクを!」と考えたとき、自分でリスクを
作ってしまうのではないか?

そうするっていうと、そのおっさんの理論を突き詰めて行くと
「冒険家は最初の冒険途中に死ぬべきらしい。」
ってことになるね。

○○家って専門家ぶってそれでお金を稼いじゃったら
冒険家なんて言ってしまったら、汚れちゃうんちゃいますか?
おっとそもそも論だけど
こんな話カフェでカフェラテ飲みながら離すことじゃなかったね。




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2009.02.25

契ることが目的で守ることなんて二の次なのさ。





「心中」

心中(しんじ(ぢ)ゅう)は、相愛の二人が一緒に自殺すること。
情死。
転じて2人以上で一緒に自殺することにも用いる。
正確に意訳できる英単語はなく、大和民族独自の死生観と言われる。
心中とは他人に対して義理立てをする意味で用いられていた
(心中立。しんじゅうだて)が、江戸時代には、
刺青や切指等の行為と同様に男女の相愛を意味するようになる。

心中立には、
誓詞(せいし)、
放爪(ほうそう)、
断髪、
入れ墨、
切り指、
貫肉
があった。


日本独自といえば「粋」が有名だが、
「心中」もそうらしい。

江戸時代社会現象にもなり、禁止令もでた「心中」に
いたく共感するのは
その生をもって思いを云々する、というところではない。

それは

closedな関係を欲している

というところだ。

友達の友達、その友達なんていうふうに広がって行く友好関係を陽
とするならば、こちらは陰。

僕は確実に陰の関係に重きをおく傾向にあるし
それが強まっている自覚もある。

その2人逢う以外になんの生産性もない関係に憧れて、
ともかく、約束を契りたくて
血を流し、涙をながし。
それが蔓延する社会。

そんな社会が危ういかというと、実はそれでも飄々と生き延びる
生命力も持っている。

契りは契約ではなく、
契りは将来の心変わりを罰する番人ではない。
契りはまさにその交わした瞬間の心の証明、ただそれだけである。

だからこそ、
未来のどんな悲劇だって

傷つき、傷さへも糧に。
涙で、苗を育て。

誇りになんて思わない。
でも、
ぢっと自分の手をみてその血潮を思うとき
自分の中に同じ物が流れていると
しみじみ思う事がある。

それがなにかの証明であるかのように。





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2009.02.22

スタイル





年をとりゃあさあ

スタイルもかわる。
ひっこんでたもんがでっぱったりさ。
重力と癒着関係になったりさ。

そう、スタイルって変るんだよ。

変るからスタイルなんだよ。

ライフスタイル

とか

ビジネススタイル

とか

決めちゃうってことは、変化をとめるってこと。

矛盾はそこに潜んでいる。

スタイルはセンスだと思う。

それは波になんなりと乗れるとかそーゆーことだ。

それも大事だ。

でも、それだけじゃきっとだめなんだ。

そこに波がこなくなるってことだってあり得るんだし。

もっと根源的ななにかを探ろうとするとき

僕は本を読み

よくわからない文章を書きたくなる。




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2009.02.05

プラチナブルー=イグアナ




そのうらさびれた山里の
街のはずれのポストよりもさらにはずれのタバコ屋の
主であるヘンリーは
数年前から
自分に禁煙を課すとともに
自分の店にも禁煙令を敷いていた。

街を通り抜けるトラックの窓から投げ捨てられた雑誌の
とある記事が事の発端だった。

都会で今時の分別のある上流の人々は
もう、タバコなんて吸わないのだそうな。
都会で今時の綺麗な麗しい婦人は
もう、タバコなんて害悪としか思っていないそうな。

ヘンリーはその雑誌をすぐに炉にくべて灰にしてしまった。

それを他の街の輩で、つまりは客となる人間に
読ませたくなかったからだろうか?
皆が読んでタバコの売上が減るのを恐れたからであろうか?
それだったら、ヘンリーは今、こんなにもタバコを嫌ってはいまい。

ヘンリーはひとり、タバコを辞め、その理由を誰にも明かさなかった。
自分だけが上等な人間だとタバコを買い求めてくる輩を侮蔑の表情で
そのタバコを選んでいる背中を突き刺すような眼差しで眺めていたものだ。

ヘンリーの優越感は営業時間中は充たされ続けた。
そりゃあそうだ、みんな侮蔑されるためにその店にやってくるようなものなんだから。
ヘンリーの客への態度は横柄そのものだ。
ヘンリーのタバコの知識は増える事はなかった。

それと合わせて
ヘンリーには客を侮蔑する理由がもう1つあった。
ヘンリーはよく、店先にベンチを出しては客とチェスに興じていた。
店を出してからヘンリーは負けたことのないほどの腕前だった。
もし負けることがあれば長らく負かした相手はタバコをタダで手に入れられる
そういうことになっていた。

試合中に相手がタバコを吸おうとすると、にらみをきかせたが、
相手が劣勢になるとそれを許した。
その時がもっとも相手を侮蔑でき、優越の快感を得られるのだった。

そんなある日。

街に見た事もないような、大きな車がやってきた。
黒塗りで、中に浮いているように物音1つしなかった。
ボディの黒は暗黒世界への合わせ鏡のようで
宮廷の御車のようだった。
その車が一旦街中で停まり、側を歩いていた鍛冶屋の娘を呼び止めて
なにかを話していた。
その話はすぐに終わったが、その娘は見た事も無いような輝きを放つ
ネックレスを手にして放心状態だった。

黒塗りの御車はヘンリーの前で停まり、
中から、タキシードを着た紳士が、懐中時計で時間を気にしながら、
映画女優のプロマイドよりも美しい貴婦人を伴って店に入ってきた。

「突然に失礼するよ」
「プラチナブルー=イグアナのミントフレーバを私と彼女に頂けないかね?」

ヘンリーはすっかり驚いてしまった。

こんな都会人がなんでまた野蛮なタバコなんかを所望しているのか?
それにプラチナなんたらなんていうタバコは聞いた事がなかったのだ。
「プラチナなんとか、ってのはタバコなんですかい??」
ヘンリーが空白の間に耐えられずおずおずと紳士に問うてみた。

「なんと?タバコ屋なのにプラチナブルー=イグアナが置いてないとな?」

「貴方、もしかしたら、田舎のほうじゃあ知らないんじゃなくって? 申し訳ないわ」

「ねえ、タバコ屋さんプラチナブルー=イグアナはここらでは流通していないの
かしら?今シティでは一番の流行のタバコの銘柄ですのよ?」

ヘンリーはなにがなんだかわからなくなってうろたえていた。
「流行るって都会では今タバコが流行っているのですか?」

「ははは!君は変っているね!タバコ自体に流行廃りもあるかい!」
「パン自体に流行があるかね?コーヒー自体に?牛乳自体に??
こりゃあ面白い!!」

紳士は古ぼけた店内を興味津々に見て回って、軒先のチェスボードに気がついた。
「おっと、チェスがあるじゃないか?だれか打てる人はいるのかい?
ひさしぶりにやってみたくなったよ!」

紳士はそう言い終わるやいなや、ドアを開けすでに軒先のベンチに坐り、
駒を並べはじめていた。

「貴方!ご迷惑よ?それに、私たち急がなきゃパーティに遅れてしまわないこと?!」

ヘンリーはこんな紳士を打ち負かせるとは!とすでに勝った気分で
急いで店先に躍り出た。
綺麗な麗人に「すぐに終わりますからお待ち下さい」
と言いたくて言いたくてたまらなかったが ヘンリーはそれを笑いと一緒に堪えていた。

「私がこの街で一番巧いと言われてます」
ヘンリーは紳士の向かい側に坐り、対戦はすぐにはじまった。

「おや、ずいぶんと古典的な駒使いだね、守備と攻めが6:4か。
このごろシティでは、そんなに守りに割かないもんなんだよ。そもそも攻めと守りは
流動的にやらないと」

ヘンリーがいつもつくっている守りのパターンはすでにくずされつつあった。
「ほら、ごらんよ。私はビショップとポーン3つが守りの要だ。それだけなんだよ」
ヘンリーはその顔を見る余裕すらなかった。

「おっと、これでチェックメイトだ!
タバコ屋にきて、タバコを吸う余裕さえなかったな。
色々古き良きタバコがあったけど、
やはり今はプラチナブルー=イグアナなんだよ。
なにも買わずにチェスに付き合わせてしまって済まんね。
これはチップがわりだ。
はしたないと思われるかもしれないけれど、取っておいてくれないかね。
これはお願いの部類だよ」

紳士淑女はうれしそうに振り向きもせず黒塗りに乗り込み
黒塗りは音も立てずに街を後にして行った。




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