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2004.03.29

いかに口先だけだったかを痛感。

今、前々から自分が面白いなと思ってた事を始めようとしています。

仕事のはなしですが、べつにこけても誰にも文句も言われないような
楽チンなポジションでの船出なのです。

先人もいない手探りの状態で、
誰に強要されるわけもなく。。

といっても、それはまだ、仮説をたてた段階だからであって、
この仮説を分析、調査、実現する段階をクリアしていくにつれ、
集める情報は多岐にわたるであろうし、仮説はそれにより正当性を
獲得していかなければならないだろう。

今は、自分がどんなポジションにいるかも手探りで。。

いかにいままで自分が頭の中だけで物事を論じていただけかを痛感して
います。

ただし、この痛覚は、ほおっておいたら忘れてしまうだろう痛みです。
誰からも多分責められないでしょう、今この仮説が自然消滅しても。

きっと僕以外は。

いつか、「速く走れるようになってやる」と決心した学生のころの
気持ちを思い出そうとしています。

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2004.03.27

うんうんと頷くばかりでは。。

このごろ思う。

戦略的マーケティングやら、
戦略的思考やら、

はたまた、養老さんの「唯脳論」やら

読んでるときは
うんうん、なるほどと頷きながら読み進む。
だけれど、それらが自分の中で血肉となることはそうそうない。

なぜだろう。

ひとつは年のせい。
年を取って、情報を振り分けるざるの目が粗くなってきたってのが
考えられる。

それもあるだろう。

ただし、もっと問題なのは

目的意識が乏しい
なんのためにその本を読むのか?
どんな情報を期待しているのか?
ってことをしっかり自分の中で整理できていない。
書店で「おっ、面白ろそう」と思った時、実は、
「あれ、なんでこれが面白そうだと思ったんだろう?」って自問自答
するのが面白かったりするのだ。

筆者とのコミュニケーション不足
なぜ、この人はこの本を書いたのだろう?
なにが言いたいのだろう?
誰に対して訴えているのだろう?
そんなことを探れないまま読んでいると、肝心なメッセージを逃す危険性が
ある。

ということだろう。

血肉と化すとは、その情報を触媒として、前進することだと言える。
触媒となる情報を吟味するとともに、
自分自身の感度もあげていかなければめったな出会いはないのではないだろうか?

このごろネットで単語で検索して関連トピックスの情報を入手することが
多い。

そんな点を線で結ぶような情報拾集しかしていないような気がして。
点を繋いでいったってキリがない。
そのうちなんの考えもなく線で結ばないままPCを終了する。
まるでただ、情報を消費しているみたいに。

そんなパターン化している思考回路に喝をいれようと思ったりして。

じゃないと一生もんの誰かの熱い思いに巡り合えない気がして。。

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2004.03.23

きっと楽しそうな顔でその文章を書いているのだろう

僕の家の隣には観音様がある。

僕の家の隣の角は3,4mくらいの塀になっているのだが、

そこに時々自慢のはり紙が多分住職が書くのだろうけど貼られることがある。

この前は「梅が満開です」とかいう内容だった気がする。

それを見る度に、その花も想像するのだけど、

その住職の書いている顔を想像してしまう。

きっと、手塩にかけて育てた花を一人でも多くの人にみせないとと

思い立ちはじめたのだろう。

もしかしたら、文章も推敲し、書き損じたりして、何度も書き直してるかも知れない。

そのちっともおしつけがましくなく、見てほしいというストレートな気持ちが

なんだかうれしく、ここちよかったりする。

今度はそろそろ桜の出番だろうか?

楽しみだ。

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2004.03.22

有形資産と無形資産

まあこのごろ巷では無形資産の価値といったお話が満開である。

ちょっとビジネスから離れて考えてみよう。

卑近な例をあげてみると

異性

どんなに美人がいたとしても、街を歩いているとまた、美人に出会ったりしません?

美人ってだけでは他との差別化が図れないのです。

僕の好きな人がいってたのですが、「顔が美人でも不細工な奴はかっこわるい」
って、ほんとだなあと。

それプラスアルファで、

例えば
笑顔が素敵とか
雰囲気が素敵とか
考えている事が素敵とか
趣味が素敵とか

その人の形ではあらわせない要素で魅力は決まるのだと。

それが無形資産。

いかがでしょう?

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母親

本棚にはぼろぼろの「星の王子様」がある。

僕にとって絶品の恋愛物語りであるその本の最後のページには、父親の字で母親の誕生日が
記されている。


父親が他界したとき、いなくなっても近くに感じられるかなと思い、母親に返そうと思った
けど、かえってつらくさせてしまうかと思って、今もそのままになっているのだ。

母親は今まで一番身近な女性であった。
いや、女性ではなく、やはり母性であった。

それは彼女の女性という側面を想像できない幼き子供の視点だった。

たぶん、その「星の王子様」の書き込みに気付いたのは今回がはじめてではないはずだ。

だけど、その当時は両親が恋人同士という設定が想像できず、目の前にいる2人を時間軸
を巻き戻してみることができず、「気持ち悪い」と白い目で見ていたに違いない。

番の片方を奪われた母親は急激に老けた気がした。
その急激さに、時間の流れを感じたからだろうか、今の僕は何故か素直に恋人同士だった
両親が想像できるようになった。

父親がいなくなってふさぎこんでしまった母親をみて、不謹慎ながらこう思ってしまうの
だ。

「あんたたち、きっと良い出会いをして、いい時間を過ごしたんだね」って。
「よかったね」って。

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家電の改革

U.A.(ユナイテッドアローズ)と東芝をコラボさせた

リアルフリート
http://www.realfleet.co.jp/

悔しいがなかなかやる。

担当の熊本さん、同じ年だ。。

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2004.03.21

人間らしさって

人間らしさって


くだらないことを
必要のないことを

やることかもしれん、とこの頃思う。

もっといえば
形容詞的
副詞的
な生き物だな、と。

生きるために必要なこと
食う
寝る
やる(失礼)

だけじゃ動物と同じ

いかに

おいしく(食う)か?
楽しく(食う)か?
快適に(寝る)か?
気持ちよく(やる)か?
*技巧的なことだけではなくもちろんストーリーとかも含めね


なんてことが重要になってくるわけだから。

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かっこわるいのは。。

僕が一番かっこわるいと思う事は。

「安易」なことだ。

悪銭身につかずとはよくいったもの。

お金で簡単にゲットした顧客はすぐにお金てひっくりかえされる。

簡単に僕を好きになってくれた女性はいとも簡単に他の奴も好きになってしまう。

簡単に思い付いたアイディアはどこかのだれかも思い付いてしまう。

心と頭と身体を最大限使い、時間とパワーとその他色々を犠牲にして手にいれたも

でないとやっぱりかっこよくないのだ。

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守 破 離

守 破 離

ッて言葉がある。

その道に入った時点では師の教えを「守り」
いずれ、自分で試行錯誤し、敢えて「破る」
そして、自分の道を確立したうえで「離れる」

僕は絵画をやっていたことはないけど
これと似た手法?がある。

最初に「自分の好きな色を使ってデッサンをする」

それはその人の今までの蓄積なわけ。
でも、それだけでは前にすすめない、世界が広がらない

そこで
今度は「自分の普段使わない、どちらかと言えば嫌いな
色を使ってデッサンをする」

のだそうだ。

すると、すごく新鮮なものがあがることが少なくないと
いうのだ。

28年生きていると、好きな物、好みが決まってくる。
それはうれしいこと、そうには違いない。
「守る」ものができたということだから。

ただ、たった28年の嫌悪感だったり、罪悪感だったり
で全てを評価したり、裁いたりって違うとこの頃思う。
「破り」「離れ」なきゃ。
自分が見知っている居心地のいい世界にどっぷり浸かってる
だけじゃあなくって。

新しい世界を知ると自分が倍にも思える時がある。

自分は無限。
でも有限にしてしまうのは自分。
無限にしてくれるのは自分と、僕の周りのみんな。

だからこんな胸の内を周りに伝えたいのだ。

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積み重ねるだけでは。。

積み重ねて、まったく別次元にいけること、それは
学生時代に知っていた。

積み重ねているだけでは、絶対にいけないところ、
そんな境地に別の道にすすんだと思っていたのに
たどり着けそう、そんな手ごたえを今感じている。

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コンプレックスを抱えながら。。

幼稚園児時代いじめっこだった。
父兄参観のときの出席を取る時も、
名前を呼ばれても隣のやつをどついて「お前返事しろ!」と
王様気分だったらしい。
当時の担任の先生に
「恥を知ればまともになりますよ」と言われた親は赤面したと
いう。

そんな僕はかけっこでいつも一番だった。
そして益々王様ぶりは増長されていったみたい。

親父の仕事の都合で家を移り、別の学校に転校した。

そこで王様の鼻は簡単におれてしまった。。

自分より速いやつがごろごろいたんだ。

あの時僕は恥を知った。

恥を知りつつ陸上競技にのめりこんだのはなぜだったの
だろう?

幼いけれど、しがみついたのだろうか?

恥はコンプレックスへと昇華してゆく。

速い事が絶対的な指標になった。

速くなればなるほど、速いやつがあらわれる。

速くなればなるほど、周りの景色がみえなくなる。

速くなればなるほど、身体が悲鳴をあげる。

速くなればなるほど、こころがきしんだ。。

そうやって僕は形成されて来た。

それはある意味財産。

でもいまでもリハビリをしているのかもしれない。

コンプレックスを抱えながら。。

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銀塩とデジタル

デジタルカメラと銀塩カメラ(通常のフィルムカメラ)

どちらの方が撮影の腕が上達するだろう?

デジタルは気軽に写真が取れ、シャッターチャンスに恵まれている。
そして数を容易にこなすことができ、技術の上達も早いだろう。

反対に銀塩はどうだろう?

良い被写体があって撮影をする。
その仕上がりは現像してみないとわからない。
現像には時間とお金がかかる。
現像によっては失敗してしまうこともあるだろう。

そんな制約が想像力をかき立て、シャッターを押す覚悟を養うのだろう。

技術というよりひらめき、大胆さが養われるだろう。

どちらが大事とも言えないが、

デジタルの出現で銀塩のいままであたり前だった不便さに思いを巡らせ、

そこから得られるものを考えるようになるとしたら、その出現の意義は
とても大きなものになるだろう。

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読書とは

その昔、幼いころは「ガリ勉」とかひ弱なイメージがついてまわったものだ。

今はスポーツと同様、身体と精神を酷使する、忍耐力が必要であるものだと
認識が変わっている。

筆者がなぜそのテーマを扱おうと思ったのか、
筆者がここでいいたことはなんなのか、
筆者と自分との思考の乖離の原因はなんなのか、
自分は何を期待してこの本を手にとったのか、
自分はこの本を通してなにを得たのか、

それは一種の格闘技であり、本当に体力を精神力を使う。

ただ、そんな形に表せない思いやら、時空を隔てた人々の目にする事のできな
い思考やらを文字という手段で表そうという切なくも無謀な人間の営みが僕は
大好きなのだ。

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2004.03.20

会わないと決めた2人

といっても恋人の話ではありません。

カミュとサルトルの関係の事。

2人は大の親友だったのに、お互い会う事をきっぱり辞めます。

それは会ってしますと公平で辛辣な議論が出来なくなるからです。

2人はそんなぬるま湯な関係を嫌い、それを絶ち、お互いを高める

ことを望んだのです。

それがいい、悪いではなく、強烈な心情に、その激しさに2人の

深い友情を感じるのです。


だって、会うとか会わないとかの次元ではなく、お互いがお互いを
求めていたのですから。

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2004.03.06

人生で満開の桜を見れる回数は?

人生80才ちょいとして、人生は30000日。
あたり前だけど、それしかないの?と思ってしまう。

これを365日x80とするとそうでもない。
結構あるなと感じてしまう。

これは表現のマジックで、「365x80」にはクッションがあるからだ。
80回というクッションが。
80回もまだあるんだ、1回終わってもまだまだ余裕があるんだなと思っ
てしまう、そこが人間のリスクに対する甘いところ。

もっと切なく、切実に人生の有限を感じるには
「人生で満開の桜を見れる回数は実は80回しかない」
「人生でひぐらしが鳴く晩夏は実は80回しかない」
「除夜の鐘をきけるのは実は80回しかない」

とすると日々の移り変わりを愛でる気持ちになれるに違いないと思う
のです。

普段風物詩として季節が巡れば必ず見れると思っているもの。
だけど、人間に巡ってくる季節なんて数十回しかないのだから。

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