陸上競技をやっている時、つらい単調な練習を黙々とこなしている時、
どこかで、貴重な現在っていうリアルな時間を不確かな未来って時の
ために犠牲にしていると思っていた。そして、それを、周りの、現在
を謳歌している奴ら見て、比べては損している等と思ってしまったこ
ともあった。
そんな思いから少しでも貴重な現在も楽しめるようと思い、今の職に
就いた。
だけど、両者の間にはちょっとした性質の違いはあれど、基本的には
人生における現実が浮き彫りになっただけだった。
人は現在っていう時間の帯を生きている。
人生って現在っていう時間の帯なのだ。
その現在って奴はあっという間に過去って奴に姿を変えて行く。
ふと視線を返して前を見ると、朧げながら現在の連続が見える気がす
る。それが来るべき未来なんだ。
普通に「現在(いま)を生きる」といった場合、それはたった今過ぎ
去った過去も、来るだろう未来も含んでしまうのではないだろうか。
「現在(いま)を生きる」とかっこつけて言ってみても、現在、ほん
のこの瞬間になにもかもが終わってしまう、なんてことをそんな覚悟
を持って言える奴なんているのだろうか?
そんな絶望的なことを普通は考えない。
普通はちょっと先(もしくはだいぶ先)の現在を思い、希望を持ち生
きているはずだ。そして、希望とは未来を現在の連続を前提としてい
るのだ。
すなわち、現在を犠牲にするとか、未来を犠牲にするとか、現在を生
きるとか、現在と未来を闘わせるのはナンセンスなのだ。
何故かって、現在と未来は別個なものではなく、同じものなのだから
ただ、視点が違うだけ。点でみるか、線で(帯で)みるかの差がある
だけなのだから。
ただし、これだけは忘れてはならない。
人が生きるってことは確実に過去を作るってこと。
現在を過去に変えてしまうという事でもあるのだ。
現在を過去にしながら、未来を造っていくのだが、それにも限りがあ
る。
人は必ず死ぬ。
未来は、現在の帯はどこかで途切れてしまう。
生きるってことは未来を食いつぶすことでもあるのだ。
希望を持って生きるということ。
それは前提である未来を食いつぶしながら進むという矛盾を孕んでい
るのだ。
そんな人生を空しいと思うのではなく、切ないと思いたい。
現在をそんな矛盾共々生きて行きたい、そう思うのです。