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2004.06.29

オヤジからのプレゼント

唯一覚えているのが

小学生のときに仕事帰りに買ってきてくれた

手塚治虫の「アドルフに告ぐ」

本人が無性に読みたかったのか、なんなのか

いまとなってはまったくわからない。

でも、多分「理解」し「なにかを感じて」欲しかったのかな?

しっかり噛み砕ける程成長してくれよ、と思ったのかな?

久々に実家に帰って読んでみようかな。

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2004.06.26

かっこいい人

かっこいい人ってどんな人だろう。

ちょっと考えてみた。

仕事ができる人?
容姿端麗な人?
富、名声を得た人?

ちょっとしっくりこない。


そのそれぞれにかっこいい人もいればそうでない人もいる。

そういうジャンル分けでは語れない、一概に言えない。


うまく言えないけど

その人のかっこよさって

その視点、「なにを見て、見据えているか」なのではないだろうか、そう思う。

「仕事ができる」
それはそれだけでかっこよくみえることもあるかもしれない。
例えば営業成績が全国トップになる。
例えば超大手の広告のクリエイティブを担当する。
例えばコンサルティングとして会社の経営を一変させる。
それはまわりから評価されるだろう。

それだけの人ってあんまりかっこよくないのではないか?
自分で自分を評価できるか否か、それがポイントなのではないだろうか?
自分を評価するってことは、自分の中に評価基準がなくてはならない。
つまり、「かっこいいと思う自分」を持っていなければならない。
それは明確である必要はないし、明文化できなくてもよいかもしれない。
ただ、本人が心からわかっていれば。
矛盾してたってよいと思う。
明日変わってしまっても、それはそれでよいと思う。

ただ、それを本人が意識し、未来を展望、見据えながら生きている、そんな人が
かっこいいのだと思う。

まわりから評価されても、
「いったいなんのために頑張ってきたんだっけ?」と思ってしまう人はかっこよくない。

。。。と書いたところで自問自答。。。

メンテナンスの時間。


このメンテナンスの時間で自分と確かめあう。


ただ、これを
50才
60才
70才
80才

になっても続けていられるのだろうか?

そんなかっこいいおっさんになっていられるのだろうか?

そんなこと考えても分からない、だから今を、今から見据えられる未来をしっかり見よう。

ただ、いくつになっても見据えていたい、本当にそう思う。

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2004.06.23

自分くらいは

仕事でめんどくさいと思ってしまう時


例えばクレームや客からの微妙な無理難題を抱えた時


なんとか仕事を遂行しいいかたちを作り上げられる状態に
自分を持って行くには

「自分くらいは客の味方になってあげなきゃ」って

思う事。

さっき、それを思い、再確認した。

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2004.06.20

変わるのは自分

今日も30℃まであがるようだ。

空は真っ青で、たまにイイ風が入ってくる。
梅雨の最中ということを忘れてしまいそうだ。

夏といえばやはり学生の頃を思い出す。

海にいった思い出等ではなく、陸上の練習で走っていた時のことを。

あの、走り終わった後、呼吸を荒くし、酸素をもぎ取ろうとする感じ。

空気は焼けているように熱く、ぬめってまとわりつく。

肺の中まで熱い空気を入れている感触が伝わってくるようだった。


そんなときも今日と同じように空は真っ青だった。

走るだけ走って、望みは彼女ができることと、速くなることくらい。

どこに行きたいわけでも、なにものになりたいわけでもなく。

練習後のコーラがなにより楽しみで。

あのころと変わってしまったのは自分自身。

昔が幼かったというわけでもなく、今がおっさんになったなというわけでもなく。

ただ、変わってゆく自分を感じているだけ。

そういう気分にさせるのはこの変わらない夏空。

多分この夏も昔の自分と同じように後輩達はひたすら走っているのだろう。

うらやましくもあり、微笑ましくもあり、寂しくもある。


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2004.06.19

すごい判断力〜

荷物を待っていた。。

プレゼンに使う資料が宅急便で届くはずだった。

送り主に業者を聞いたら聞いた事のないところだった。

もう16:00 荷物の状況を問い合わせる。

「ちょっとお待ち下さいね〜」と、

かなり待たされる。


「ドライバーがお宅の場所がわからないからって戻って来ちまいました」

おいおいおいおい〜!!!

なんちゅう判断力!!

泣けました。

無事届いたけど。

まあ佐○急便に荷物なくされたときよりはましかな?

あの時はなかのいいドライバーのあんちゃんが玄関先で荷物を一つももたず
しょぼんと訪ねて来たのでまいった。。

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2004.06.17

責任感ってもてばいいってもんじゃない

昔オヤジに言われた台詞


「お前には圧倒的に責任感がない」


正直、こいつ、みていないようでやはりみているなあ

と思った。


だけど、誰かにそう言われたからとか

責任感がないと、恥じたからとか

皆が責任感を感じそうな場面だからとか

そんなくだらない理由で責任感を抱くようには
なりたくないのだ。


そんな、みせかけだけの感情は単なるパフォーマンス
であるという歪曲しているかも知れない感情を捨て去る
こともできない。

自分のやること、自分の関わる事全てに責任感を
感じていては、それは八方美人と同じ

氷の溶けてびしゃびしゃのウイスキーのように
うすっぺらくみっともないものではないのか。

自分の本当の信念だったり
自分の大切なもの

だけのための責任感

それだけが真っ当だと思う。

責任って社会的というか、周りに人がいてはじめて感じる事が
できる。
だから、単純に、自分の内なる感情だけで、
自分に向かってだけの感情では寂しい気がする。

だから、「責任感が強い」という自分が好きとかではなく、
自分が責任を果たすという、対象や、行為にも思いを巡らせたいのだ。


そう思うから、責任感にあこがれに近い特別な感情を持っている
のだと思う。

そう思うからこそ、単に責任感が強いといわれる人には本当に惹かれる
人が少ない気がしているのかもしれない。

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2004.06.07

やはりクリエイターになるのはむずかしい

このごろ痛切に思うのです。

自分には純粋なクリエイターにはなれないと。

クリエイティブなものを作る、それは単なる思いつきでは現実には不可能です。

芸術で一人で作り上げてしまうものを除けば、やはり誰かの力を借りて、

アイディアを現実の形に落としこむことが必要です。

それはそれを現実化するためのハードルを現場に押し付けることとは違います。

自分の無知を誰かに押し付けて「おれはクリエイターだ!」とえばり散らす輩

はクリエイターではありません。

そうではなく、その現実化の為のあらゆる困難を想像して、誰かに迷惑をかけて

しまうことさえ、想像して、人を動かし、実現してゆく、それこそがクリエイター

なのです。

非情で傍若無人にみられようと、それでも誰かを動かす、その自分のイメージを
大切にし、妥協を許さない姿勢が必要なのです。

自分はややもすると、現場に負荷がかからぬよう、安全策を提案してしまいます。

そこに自分の限界がある気がしてならないのです。

クリエイターを理解できる

だけど

クリエイターになるのはかなりむずかしいようです。

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