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2004.07.30

「楽」と「快楽」

オメガトライブというマンガがある。

そこでは人間という種は2つにわけられるとしている。

淘汰される脳

進化する脳

がそれである。

前者は「楽」ばかりを追求し、後者は「快楽」を追求できるもの

と定義されている。

例えば前者はTVゲームに興じたり、自慰に耽ったり、酒や薬に溺れる等
後者は恋愛、スポーツ、研究開発やクリエイティブ全般等が挙げられる。

この両者の違いを僕なりに噛み砕くなら

「リスクをとれるかどうか」だと思う。

前者、淘汰される側にはそのアクションにリスクが伴わないのに対し、
後者、進化する側には「自分を真っ向から否定される」「自分を拒否される」
といった負の可能性、すなわちリスクが伴うのである。

スポーツで自分の競技の才能が否定されるかもしれない
恋愛で自分の容姿、中身が否定されるかもしれない
創作活動で自分のセンスが否定されるかもしれない

それでもなにかを欲し、その飢え、乾きを満たす為にアクションを行う、
リスクは承知でアクションできる。
それが進化に繋がると言えるのではないだろうか。

この両者は性格のようなもので、後者を意識して実行できるかどうかは
教育しても身に着くわけではないと作者は言っている。

あなたの脳はどちらですか?

ちなみに僕はどちらもある、平凡な奴な気がします。。
(嗚呼、みもふたもない締め。。)

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2004.07.27

石橋を叩く意味。

「石橋を叩いて渡る」

なぜ石橋を叩くのか?

それはそこにあるリスクを測るためだ。

橋の先に欲しいものがある。

左右を見回しても他に橋はない。

川には濁流が渦巻いている。

あなたはリスクを測る。

トントン、トントンと。

あなたはリクスを測る。

それは向こう岸に辿り着きたいからだ。

決して引き返すためではない。

リスクを測り、そのリスクを冒してまで先に進みたいか、自分の心を試すのだ。

リスクを測り、リスクを承知で橋を渡る。

それは決して蛮勇ではない。

これこそ僕的「石橋を叩いて渡る」なのである。

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2004.07.25

あの時、あの決心を。。

あの時。

学生時代のあの時。

「決心」という言葉をはじめて本気で使った。

一切の妥協をせず、フルで頭と心と身体で陸上をしようと、自分の限界を引き上げようと
それこそ決心した。

もちろん「才能がない」なんて言い訳も恥ずかしい話、その時はじめて捨てた。

あの時の決心は自分の中への挑戦だった。

そして今、再びそんな岐路にたっているのかもしれない。

周りの全てを巻き込み自分の信じる道を進む、そんな決心を迫られているのかもしれない。

それにはもう暫し、信念を強いものにするため土台をかためなければ、、それも早急に。。

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2004.07.24

仕事の成果

思わず誰かに見せたくなるような

家に持ってかえりたくなるような

サンプルをクライアントにすぐに持って行きたくなるような

現場の職人に「ありがとう!」と言いたくなるような

そんな仕上がり後の僕の気持ち。

それが次ぎの仕事に高いモチベーションで臨むことが
できる。

僕個人の成果物である。

今の仕事はそれがあるからうれしい。
特に本とかを作ったあととか。

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2004.07.18

自分の香り

  

  花の香りは
  風にさからいて薫ぜず 
  されど、善き人の香りは
  風にさからいて薫ず、
  正しき人の香りは四方にかおる
     法句経 より

坊さんのお説教ででてきた言葉です。

自分の香りを嗅いでみた。。

自分ではよくわからない。。

自分の周りを見てみた。。

自分の香りを良い匂いと言ってくれているか。。

多分色々だろう

中には良い匂いと言ってくれる人もいるだろう
良い匂いだけどキツすぎると言う人もいるかもしれない

良い匂いでなければならないけれど、ものには適量がある。
ちょっと嗅いでみよう、考えてみよう、自分自身を。

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2004.07.05

そう、僕はぼっちゃんだ。。

再三オヤジネタで恐縮ですが、

彼に「お前はぼっちゃんだ」と言われた事があります。
要は苦労をしらないということです。

「お前が産んで、お前が育てたのだろう?」と思いもしました。
「おれだって苦労くらいしている!」と言いたかった。


が、


考えてみた。

自分の苦労を。


幸いオヤジやおふくろのお陰で、

人を殺したいくらいの窮地にたったこともなければ、その逆もない。
お金を盗もうとするくらい困窮したこともない。
人間としての尊厳を奪われるような扱いも受けた事がない。

あるとして、
自分がなにか、誰かより劣っていたり、
思った自分になれなかったり、
といった、ないものねだりの領域だった。

自分では頑張っているつもりだったけど、言ってみれば、頑張らなくても
いいものばかりだった。


ただ、それを卑下する必要はない。
ただ、そんな環境を作ってくれた両親に感謝するだけで。
そこからスタートしたら自分のやれることをやりたいことをやればいいのだ。
ぼっちゃんにもできる事は沢山あるのだ。

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2004.07.01

多言語を解するようになりたい

といっても、

日本語と英語とフランス語

なんて話ではない

スーツの考えていること
OLの考えていること
デザイナーの考えていること
アーティストの考えていること
年寄りの考えていること
学生の考えていること
主婦の考えていること

きっとそれぞれに光るもの、あると思う
いいたいことあると思う

それぞれの思っている事を伝える言語を解したいのだ

それらに引き寄せられるアンテナをもっていたい

こんなジャンルに捕われるのではなく
社会の決めた色眼鏡ではなく

自分で色々ためして、試着して手に入れた
眼鏡を通した景色を楽しみたい

それも色んな景色を

自分のアンテナでそれら全てを網羅していきたい

色んな言語を解したいのだ

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