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2004.08.28

棒高跳びって

バーをクリアして落下する


その瞬間

勝利を独り占めできる至福な瞬間を得られる競技なんだ

と今日思った

そしてバーが上がる度にその瞬間は長くなってゆくのだと

オリンピックはゲームだ


そのゲームに見入ってしまうのは

そのレベルの高さと

規模

そして、そこに人生を賭けたプレーヤーがいるという

切なく、最小限の演出の為であるのだろう

4年ぶりの祭典ももう2日で幕を閉じる

夏が終わろうとしている

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お互い色々あるよなあ〜

中学生のころ

都内某有名進学予備校みたいなところに通っていた

というか通わせられていた

というか通うことになっていた

あまり勉学に興味を持っていなかった当時の自分は普通に落ちこぼれになっていった

クラスの奴らとも中学生なりの軋轢があり(笑)

次第に街でぶらぶら相棒の工藤君と過ごす事が多くなった

よくセンター街のゲーセンにいってた
(センター街がポイントでは無くゲーセンがポイント(笑)沿線に渋谷があっただけ)

お金がないと半蔵門線にひたすら二人でのっていた

駅からはほとんどでないけど長津田(終点)によくいったものだ

工藤君が授業がないときはさすがに時間をもてあまし

よく家のマンションの屋上にいた

冬は寒くて寒くて、缶コーヒーで暖をとりながらみたオリオン座は今でも覚えている

将来に思いを巡らすでもなんでもなくぼーーーーーーーーっと星をみていた

もし、今、彼(その当時の私)がいる屋上にいったなら


「そっちも色々大変だねえ」と切り出す気がする

「まあこっちも大変なんだぜ」と

なんだか風邪を引いて全く忘れていた中学生時代を思い出したので。。

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2004.08.27

まったくの正直なんてない

正体もなく

今ここに告白をする

恥もなく

品位もなく

かといつて正直さもなく

私は私の幻想に駆られて

狂い廻る

〜中原中也

まったくの正直なんてない気がする。
傷をなめあうんじゃ無く、かといってそんな正直じゃないこと
を裁くのでもなく。。
そんな友人が欲しい。
今日はちょっと暗め(笑)

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2004.08.26

酔いしれる

色々な 事象を知りたいと

色々な 心情を推し量ろうと

色々な ものを形作ろうと


人は生きる

過程でここのように人は足跡を刻もうとする

未来予想図を描くように
自分の業績を讃えるように


ある人は

その紙の上だったり電子的な0/1情報の上だったりに酔いしれる事を覚える

実際になにもなされていないまま、なにも現世に生み出さないままに

もしくはあたかも何事かを成し遂げたかのように

それは形作られるから

文章や言葉によって彼、彼女の思考は熱意は


人間はかくも快楽に耽る事ができる 酔う事ができる


昨日書いたことと今日書いたことの振幅さえも

微妙な快楽となって僕を襲う

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2004.08.25

身体が応えてくれる事が快感なのだ。

アテネオリンピックがやっている。

メダルがとれたとか、どうだとかそういう話は他にまかせて。

室伏の投擲。

投擲をやったことのない自分でもわかる。

最後の投擲は渾身の力がハンマーにのった会心の一投だった。

そう、あの「会心」こそ快感なのだ。


苦しい(つらいではない)練習なんて忘れてしまう、自分が酔ってしまうような

ぐっと両の拳を握ればパワーがあふれてくるような。


オリンピックの選手達、しかもそのなかで誰も経験していない境地にたってしまう人達。


彼等は僕の知り得ない快感をしっている。


その快感こそ彼等の輝きの源なのだ。

「がんばれ!」とかではない。

とにかくかっこいいのだ。

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2004.08.15

文明と文化、どちらを希求するか?

司馬遼太郎さんの著作に文明と文化の差を論じたものがある。

『文明とは多分に技術的でどの民族も採用でき、使用できるものを指す。
〜民間航空機に乗ると、乗客は乗組員の指示に従ってシートベルトを締め
禁煙の表示をみるとタバコをのむことをしない。この点、大韓航空でも、
エールフランスでも同じルールが支配している。この現象を文明と呼びた
い。普遍性といってもいいかもしれない。これに対し、文化は特殊なもので
ある。その家の家風、あるいは他民族にはない特異な迷信や風習、慣習を指
す。「たれでも参加できます」というのが文明である以上、文明は高度に合
理的である。しかし人間は文明だけでは暮らせない。一方において、「お前
たち他民族には理解出来まい」という文化をどの民族でも一枚の紙の表裏の
ようにして持っている。従って文化は不合理なものと言える。という以上に
不合理なものであればあるほど、その文化はその民族内部では刺激的である
といっていい。〜』
(司馬遼太郎 「日韓断想」)

僕の今立つ日本ではやはり御多分に漏れず、普遍的な文明を糧としていると
ころが派手に繁茂している。
それは普遍的であるが故に、相性なんてものもなく、好き嫌い等と言うもの
もなく、敵味方なんてのも無い。
ただただ広がってゆく。

そして当の僕はというとそれがつまらなく、文化を売ろうとしている。

但し、それは司馬さんのいうように民族によって区分けされているものでは
なく、個人によって区分けされているものだ。

僕が面白いと想っていいることをアメリカ人が共感してくれてもいいし、
マレーシア人が共感してくれてもいい。

但し、お互いを理解できる共通言語という文明ツールを必要とするのだけれ
ども。。

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一生青臭く

「青臭い」って言われてうれしくなるってのは普通ない。
それには「未熟」だとか「世間知らず」だとかというニュアンスが含まれるから。

だけど、僕は一生青臭くいたい、そう思うのです。

それは現状、20代後半でなにか果実を秘めて、育ててなければ逆におかしいと思うからです。
まだ、誰にも馳走できない、けれど着実に育んでいる。
そんな青臭い段階でいいと思うからです。

もし、この年で熟してしまったのであればよっぽど昔から種を蒔いたか、
(スポーツ選手など)
簡単に生ってしまう果実だったのではないでしょうか?

僕は数年前に実をつけたばかり。
それを青臭いといわれれば「熟れたころを楽しみにしていて下さい」と答えるだろう。
(だから食べごろ、夢の実現期日を自分でもわかっていたいとは思います)

もしくは、この年で青臭くないのは実さえ付けていないのではないでしょうか?
実もつけず老人のように。。
「青臭い」ことを言っているやつを鼻で笑いながら。。

そしてもう1つの理由は
人間は植物と違い、多品種の実を色んな時期に付ける事ができるのです。
今熟した実をもちながら他方、ようやく実を付けたものも持っている。

それが可能なのです。

リタイアするころには沢山の実を落とし、それでもなお、青臭い実を持っている。
それでいいのです。

というかそうなりたいのです。
一生色んな実を育て続けていきたいのです。

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2004.08.08

昔っから僕らは空と繋がっているのだろう

今日は週1日の休みでした。
そのほとんどを掃除に費やしました。

ベランダから真っ青な青空が見えます。

普段空なんてみないんですけど、やっぱ夏の青空は大好きです。

昨日も現場のミスから大変なトラブルに発展し、
頭をフル回転させながらオフィスに戻る途中、帰宅途中(怒)の後輩とすれ違いました。

「ずっとまえから気付いてたんですけど、全然気付いてくれなくって
あ〜この人下見てあるいてんな〜ってわかりましたよ〜」

といわれてしまいました。。

まったくトホホです。。


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話はそれましたが、そうそう、空。

なんでこんなもの好きなのかな〜とか考えたことあります??

あのもくもくと厚みのある入道雲とか。

きっと、大袈裟にいうとD.N.A.に刻み込まれてるんじゃないかなと。

おやじも、おじいも、ひいおじいも。

きっと、太陽の光を浴びて、汗を流しては空を仰いだに違いありません。

空が好きなのはこの地球の中で生きてきた人間である証しなのではないかと。


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レベル・セブンという小説があります。(宮部みゆきじゃあありません)
日本で発行されたのは1978年。作者はモルデカイ・ロシュワルトという人。

粗筋はアメリカが全面核戦争に備え地下4000フィートに秘密原爆発射基地を
築いた。その名をレベル・セブンという。
そこに送りこまれた押しボタン士官X-127を主人公とした物語り。

家族、恋人等縁者には死亡したと伝えられ、社会的に抹殺され、一生その
密室からでられないという任務を帯びた彼がその地下深い密室に送りこまれて
心配だったのは食糧等ではなく太陽の光がないことだった。

(物語り的には、ある日原爆発射の命令が下り、原爆が発射されます。
下界は*上界か?は死地と化し、その基地にもじわじわと死の灰忍び寄ります。
その死が迫る心理を描いた名作なのです、念のため)

太陽から切り離されるということは自分のルーツから切り離されること。

もしもそんな自体になったら、X-127のように太陽を希求するでしょう。

そんなことを思い、空を眺めると逆に、自分のルーツと繋がっている事を実感して
安心できたりするのです。

だから、なんだかわからないけど空が好きなのでしょう。

昔っから僕らは空と繋がっているのだから。

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2004.08.05

敏と欲し、鈍と欲す

人の気持ちを全て酌んであげられる敏感な人間になりたいと欲する

でも、ある時は

人の気持ちなぞ、全くおかまいなしに我が道を突っ走りたい、
それができる鈍な人間にもなりたいと欲す。

そんな寄せては返す感情は

その振幅は

周りの人に迷惑をかけ

本人をも切り裂く

そして、たまに誰もいない海岸に打ち上げられる

そしてその弱り切った躯はその心は

回復してようがしてまいが、

本人の意志とは関係無しにまた波にさらわれてゆく


もがけばもがくほど溺れてゆくことを知る事

なのでそれに身をまかせることを覚える事

それが年を重ねるということかもしれない

それが最善だと思い知る

その振幅を抑えられた人など、人間の歴史上いたためしがないのだから

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