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2004.11.23

足を止めず、思考を止めず

誰にでもあるだろう。
生きて行くうちに「なぜ?」って問いに向かい合う事。

「なぜ生きるのか?」
「なぜ好きなのか?」
「なぜ嫌いなのか?」
「なぜ今の仕事をしているのか?」

それらの「なぜ?」は基本的に自分の内だけの問題では無い。

自分とその周辺、外部との関係から生じるものなのである。

「なぜ生きるのか?」って問いを自分の内にだけ問いかけても
いい回答は得られないのではないか?

つまり、止まって自分の内だけで思考しているわけにはいかない
のだと思う。

反対に思考を止め、足を動かすわけにもいかない。

自分に関わるものはもとを辿れば数え切らない程ある。

そのあっという間の関係性の波と時間の流れに流されてしまう。

そんな様々な波にのまれるのではなく、思考し、走り続けること
が要求されるのではないか。

あるときは波乗りのように軽快に

あるときは波を作ってしまうくらい大胆に。

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コメント

こんにちは^^

>それらの「なぜ?」は基本的に自分の内だけの問題では無い。
>自分とその周辺、外部との関係から生じるものなのである。

この原因と結果を言い切るのが、新鮮だと思いました。
それを導く方程式も、具体的でも抽象的でもいいので
教えて欲しい気がしました。

「とりあえず動くしかない」ことは真実だけど、
そのモチベーション固めには、衝動に頼るばかりでなく、
「意味づけ」が必要だから、そのあたりを知りたい。

私はいつも「自己完結型」……。

投稿: step | 2004.11.24 16:04

こんにちは。
随分前にも来たことがあって、久しぶりに拝見させてもらいました。

その間に自分にも変化があったみたいで
前に感じたものとは違う分部をみられた感じです。

続けていくことが生活で人生で生きていくことなのかもね

投稿: ふう | 2004.12.04 23:23

stepさんようこそ。
ほっといたみたいでごめんなさい〜
文字がばけちゃってて。。うまくいかなかったのです。。

そういうあなたの突っ込む切り口、新鮮です。。


「なぜ?」についてですが、等式であらわせる方程式ってほど
明解なもんはありません。。

ただ、昔の話をひっぱりだしてくると、僕は昔陸上競技をやっていて

「より、速く!」ということを常に考えていました。

それを望んだわけって内部にあるかないか?

内部だけだったら、筋繊維をぶっこわして、体中乳酸まみれにして
吐いたり、怪我してまでそれをもとめないと思う。

限界以上を求めないと思う。

全速力で走ってお終いなんじゃないか?その先を知る事も無く。

「必要は発明の母」なんていうけど

憧れや羨望を自分ってなかでねかせる事が進歩や進化の母なんじゃ
ないかってよく思います。


ちょっと抽象的になってきてすれちがっているかもしれないけど
そんなずれがちょっとずつなくなればうれしいっす。

投稿: anonymous | 2004.12.06 00:21

ふうさん。

そんな心の変化にここにきてくれたことが気付くきっかけになったなんて
光栄っす!!

これからも気付いたことがあったらかきこんでくださいね。

投稿: anonyumous | 2004.12.06 00:24

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