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2005.03.28

決して擬人化するわけではなく。。

昔小学校(もしかしたら中学校)の国語の教科書に『ノミの実験』というものが
載っていた。

ノミのジャンプ力は人間にサイズをなおすと、東京タワーを跨ぐくらいと言われている。
よくある水槽に入れたとしても、軽々と逃げてしまう。

ただし、その水槽にふたをしてみると。。

ノミは幾度となくジャンプし、幾度となくふたにぶつかる羽目になる。
すると、いざ、ふたを外してやってももう、水槽をこせるジャンプをできなくなってしまうのだ。

これは色々考えさせられる実験だ。

ただ、このノミを擬人化し、
「自分に限界を設定してしまってはその能力がそがれてしまう。」
とか精神論に持って行くのは飛躍がある。
なんといっても、ノミはノミなのだから。

そうではなく、精神論ではなく、自分の能力と外部環境を考える必要性を教えてくれる。
上の実験でのポイントは
・ジャンプ力のポテンシャル
・ふたという外部抑止力
である。
上記の擬人化の例だと、外部抑止力が、内部抑止力(自分のマインド等)におきかわってしまって
いるのだ。
それではすべて自分の能力のせいで自分の行く手が阻まれていると感じてしまう。
そうではなく、停滞してしまっていると感じる時は、まわりを見て、障害になっているところを一歩
引いて見てみることも大切なのだ。
問題は自分の外にもいっぱいあるのだ。

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2005.03.25

なんの役にも立たない!!

いまさらになって思う。

寝食以外は陸上競技のことを第一に考え、練習に励んだ時期がなかったら、
身体を使い、頭を使い、目標達成のために問題解決をすべて自分で行ったあの経験がなかったら
今頃自分はどうなっていたのかと。

今、仕事をする際ももちろん直接ではないが、その経験が役に立っている。
その考え方が。

なにごとも、その道を極めようとしたことがあれば、他の道で通ずるのである。


ただし、「他の道でも役にたつから」という気持ちが少しでもその最中に生まれたら、
それは問題である。

どの道に行ったところでまた、「他の道でも。。」と逃げの思考になってしまうからだ。


ここでポイントなのは「極める」という意志であり、決意であり、
「その為にはどんな問題をどうやって解決してゆくのか」という思考回路である。

人生で一回でもなにかを極めようと思ったことがなければ、それはどんなに見栄えのよい
スキルを積んだとしても、ステップアップにもなんにもなりはしない。

「今やっていることなんて、他になんの役にも立たない!!」
「無意味だ〜!」
と思いながらも突き進むこと。
ただ、それがやりたいが故にやっていると気付くこと。
それ自体が目的であると言うことを意識すること。
それが大事なのではないだろうか?

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2005.03.19

けなすのは簡単なんだ。

なにかをけなすのは簡単なんだ。

なにかを批評するのは簡単なんだ。

ちょっとしたカッティングエッジとか、いや、カットしない外見だけでも
それはできるから。

それに体よく「毒舌」なんていう悪意をいれたら、それはできるから。

なにかを褒めることはむずかしい。
なにかを「好き」というのはむずかしい。

だって、「本質」をしらなければそれは語れないから。

ただ、「本質」がわかってなさそうだからと、語らないのではない。

日々、新しい箇所を褒められる、そんな発見をしていけばいい。

「本質」はいっこではなく沢山あるのだから。

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