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2005.04.28

頭で感動する

感動のしかたなんて、そんなのどうでも良いと思っていた。

心が揺すぶられたら


素直に感動しようが

ひそかに感動しようが、そんなむっつり感動さんでもOKだと

思っていた。

だけど、なんだろう、そんなレベルではなく、徐々に徐々に頭
で感動してしまうことが多くなってきている気がする。

(むっつりさんよりよほどひどい。)

っというか、心揺さぶられることなく「感動した」といってい
ることがいかに多いことか!

デザインなんかの仕事をしているとほんとうに。
ほんの思い付きをクリエイティブとうそぶくのもやはり存在し
てしまうから。

そんな「感動した」を連発していると、自分もそんなレベルの
感動しか人に与えられなくなってそうで、瀕死の状態に陥る。

そんな時に僕は

大竹伸朗さんの作品を手に取る。

大竹さんは本当に自分の心で感動し、後頭部打ったものを表現
する、いたってまっとうで、ぶっとんでいて、いっちゃってる
クリエイターだと思う。

そうやってりはびりを楽しむのだ。
大竹さんワールドに浸りながら。

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コメント

ずっと、このエントリーにコメントをお送りしようとしてましたが、すっかり遅くなりました。
トラックバックをした詩人のぱくきょんみさんの書いたものの中にこんな文章があります。
+-+-
わたしたちのことばひとつひとつは、ちっぽけな存在だ。日常にあふれて、使い古され、鼻持ちならなくもあり、うそぶいているだけのようで、わたしたちはわたしたちのことばにすっかり辟易している。あかんぼのころ、「あーあー」という音声が「まんまー」とことばじみてきたとき、本人も本人と向き合ったひとも体を電光が走るような悦びを覚えたはずだろうに、それと匹敵する、あるいはそれ以上の感動はその後の人生でなかなか経験できないでいる。
『いつも鳥が飛んでいる』五柳書院@二十世紀文学の母から抜粋

食べることと同じくことばは私にとって欠かすことのできないものです。ことばが響く身体って?
そんなことが巡りながらも、結構ちっぽけなことに悦びを覚えるこの頃だったりしてます。

投稿: mitsubako | 2005.06.11 23:51

こんばんは。
ようこそ。

>それと匹敵する、あるいはそれ以上の感動はその後の人生でな
>かなか経験できないでいる。

そうですね。
言葉を使って意志疎通できるってのがあたり前だと
思ってしまっているからかも知れませんね。
(逆に100% は伝わらないと、突き放している場合も
あるでしょうけど)

それでも、こうやって書き文字で人と接する機会が増える
と、さらに食い違いが多くなるのだけれど、
そんなツールでビビッとくる文章と出会うと、今でも
興奮しますね。
特にこうやってお互いで築き上げたバックボーンがないのに
同じ言葉で感動や興奮を共有できたら。

だからmitsubako さんのところにも遊びに行くのです。

投稿: Anonymous | 2005.06.16 03:15

こんばんは。
ようこそ。

>それと匹敵する、あるいはそれ以上の感動はその後の人生でな
>かなか経験できないでいる。

そうですね。
言葉を使って意志疎通できるってのがあたり前だと
思ってしまっているからかも知れませんね。
(逆に100% は伝わらないと、突き放している場合も
あるでしょうけど)

それでも、こうやって書き文字で人と接する機会が増える
と、さらに食い違いが多くなるのだけれど、
そんなツールでビビッとくる文章と出会うと、今でも
興奮しますね。
特にこうやってお互いで築き上げたバックボーンがないのに
同じ言葉で感動や興奮を共有できたら。

だからmitsubako さんのところにも遊びに行くのです。

投稿: Anonymous | 2005.06.16 03:15

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» 『いつも鳥が飛んでいる』 [Abejas e Colmenas]
今、涙が溢れるのをおさえきれずに車中で読んでいる本がある。ぱく きょんみ著『いつ... [続きを読む]

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