「いかにして」と「なぜ」
オギュスタン・ベルクという人の著作の中に
『世界を説明し支配しようと努力を重ねる近代は、実のところ、
「なぜ」から「いかに」への置き換えをはかる壮大な転換のプロ
セスに他ならなかった。』
(地球と存在の哲学)
という一節がある。
「なぜ」→「だから」→「いかに」達成するか
ではなく
「いかに」達成するかと「なぜ」は断絶する。
「なぜ」は立ち止まる必要がある。
その結果なにも生まないことだって多々ある。
そうではなく近代は生産の社会だ。効率が大事だ。
「なぜ」なんてのに耳をかしていると生きていいけない
回遊魚のように。
たまに、そんな「いかに」の権化のような人に出会う。
とにかくパワフルに豪快に無神経に鉈を振いながら突き進む
人に。
どんな相手もねじふせて、理想や理念などおかまいなしに
ずんずん、ズンズンと。
さしずめサメのように(笑)
かたや、
僕はいつからか「なぜ」に惹かれるようになった。
でも、ナイーブなんて思われたく無いし、思ってもいない。
突き進むバイタリティがないかた立ち止まって「なぜ」なんて
考えているわけではなく
きちんと「なぜ」からはじまって、しかも「いかに」の社会で
バイタリティを発揮できるようになりたい。
「なぜ」から作っていきたいのだ。
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