終蝉
僕は逃さない。
その夏、はじめて鳴く蝉を。
決して定番の夏を楽しむタイプではない。
海もいかず
山もいかず
いつまでも肌の色が白い僕ですが。。
季節の変わり目、それがイベントのようで好きなのかもしれません。
初桜もたいてい見逃しません。
といっても僕の行動半径内の話ですが、桜並木で一番に芽を吹く樹を
みつけるとうきうきします。
ただし
その夏の最後の蝉
その春の最後の桜ひとひら
に気付くことはまずありません。
全ては終わってしまってから気付くのです。
日常から蝉の音が消えてから
桜吹雪きが失せてから
その季節が去ったことを気付くのです。
僕はけっこう大雑把で鈍感なほうだからなおさらかもしれません。
だけど、世の中そんなことが多い気がします。
流れる時のなかで、失ったあとでその事態に気付くことが。
親愛なる人の気持ちが離れてしまったあと
大切な人が他界したあと
病気に蝕まれたあと
環境が汚染されてしまったあと
動物が絶滅してしまったあと
僕らは気付くのです
自分のやってきたことに
自分のやらなくてはいけなかったことに
そして気付いた時にはそこになにものこっていないことに。。
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