共感しているだけじゃあだめだ
共感、それは、他人となにかが通じあった時にうまれる。
そんな僥倖は、人を呼び広がりを生み出す。
とても大切。
ただ、共感だけでは十分ではない。
それだけではなかよしクラブになってしまう。
横の広がりは獲得できるが、深み、自分の思想、自分のヴィジョンの深度は
自分以上の発展は望めない。
深度を深めるためには、
反対、反発、違和感、拒絶、嫌悪
なんてものが必要になってくる。
それは、自分とその対象とを比べ、闘わせることを意味する。
その闘いに勝利するには、自分を掘り下げなければならない。
いや、負けることさえ必要なのである。
自分というものをぶっこわす、ぶっこわされる。
それは自分が今まで抱えていた理念なりが不十分だということ
を認めるということ。
それは今まで築いてきたところには築けない。
一度ぶっこわさなければ。
共感はぶっこわすことを強要しない。
だから、うれしい、心地いい。
だがそれだけではだめなのだ。
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コメント
そうですね。
大人になるにつれ(なってるか?)共感だけでは仲良くなれなくなってきてますね。
もう少し若いときは同じものが好きだったりすることが仲間意識でしたが。
仲間意識というもの自体が前より自分に必要でなくなってきているのかも。
投稿: 水谷明日香 | 2005.09.05 22:42
おー!
いらっしゃい!
たしかに、「もの」による結びつきって、
あるときは、いつのまにか話がその「もの」以外に
いかないように、いかないようにという強迫観念を
うむときってありますよね。
賛否含めて、なんとなくしっくりくるみたいなほう
がなんでも話ができるのかもしれません。
投稿: Anonymous | 2005.09.06 22:59