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2006.01.28

そしてビリー・ホリディからホリエモンへ。

ホリエモンが逮捕されましたね。

個人的には彼らが既成権力に首根っこ押さえ付けられた
そんな結末にしか見えませんでした。

彼らのやり方では世の中を変えることはできなかったのね、
という気分なので普通にブルーはいってます。

ジャッキー・ロビンソン
ビリー・ホリディ

彼らに震えた話を書いた。

それは個人対個人の関係であり、
それが、ホリエモンたちの方法と違うやりかたとして、世の中を
変える力を持っているのだろうか?

既存権力が入り込む余地のないアジールを
築くことはできるのだろうか?

そんなことを考えると世間は青臭いと鼻で笑うのだろうか?

たしかに僕は青い。

オヤジは僕のことをぼっちゃんだと、その昔いいはなった。

自分の才能がないことが最大の不幸だなんて思っているやつは
ぼっちゃんなんだ

彼はそう言い放った。

だが、彼は決して

ぼっちゃんじゃなくなれなどとは言わなかったと記憶している。
青さを捨去れ、と教えられた覚えはない。

強さは、
世の中を渡る強さは
青さと引き換えにしか得られない、
僕はそうは思わない。

それは種である、青さは種である

そう考える。

それは姿を変える。

だけどそれを捨て去るのではない、それは変容しているのだ
変体しているのだ。

彼がバットとグラブとボールを信じ続けたように
彼女が彼女の声とリズムを信じ続けたように
彼と彼女が見ず知らずの人の両手がおこす拍手に感謝したように

彼らは総じて彼らのなかの種からそれらを発したのだ。

だが、種が埋まるその土壌なくして種は育たない。

空気がないと、光がないと種は死んでしまう。
水がないと枯れてしまう。

自分の種を育て花を咲かすには、
より良い土壌を確保しなければならない。

それは自分だけを考えるのではい。

僕の種の埋まる土壌には誰かの種もあるのだから。
僕らにとってその土壌とは文化と言い換えることができるだろう。
いい土壌には素敵な花が咲き、
その後にはその後継者が土壌に深みを与え続けるだろう。

彼らのすごいところは
自分の種を育て花をさかせただけでなく、土壌まで作ってしまった
ところだ。
そうだ、彼らはそれを作ったではないか。
そして彼らのあとにも花も咲いたではないか。

今、この時空に、この土壌に一緒にいてありがとうと言える人と繋がり、
まして、ありがとうと誰かに言われる。

彼らに続きそんな関係を作っていきたいと強く思うのだ。

 

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2006.01.26

ジャッキー・ロビンソンからバリ−・ボンズそして、ビリー・ホリディへ

「好かれてるか嫌われてるかなんて、
 オレは気にしないよ。
 オレが気にするのは、
 あんたがオレを人間として
 尊敬してくれているかどうかさ。」

                 ジャッキー・ロビンソン

この前、日記に陸上の話を書いた。
そんなことを書くと当時のことが頭を占め、当然のことのように
当時がつんとやられた台詞を思い出す。

当時僕はこの台詞が言える様にと願っていた。

照れたり、ふざけては言えない、
真直ぐに相手を認めないと言えない

尊敬という言葉に憧れに近いものを持っていた。

ただ、最初この台詞に出会った時、

「尊敬してくれている。。」という受け身なところが気になっていた。

尊敬されようと、頑張るのってすごくつらいだろな
所詮受け身かよ

と浅はかにも思っていた。

それにはわけがあって、この台詞とジャッキー・ロビンソン
どっちが先、といわれると、ジャッキーのことなんて最初これっぽっち
も知らなかったのだ。
彼を知らないからこそこのように思えたのである。

彼は、アメリカメジャーリーグ初の黒人選手なのである。
もちろん観客、相手選手、味方選手からも罵声をあびながら、
紳士にひたむきにプレーに励み、信頼と尊敬を勝ち取った人物なの
である。

それを知ると、全員敵のような立ち位置で、なぜそこまで彼が
やりとおせたのかを考えると、

もしかしたら、
「尊敬してくれている」ってのは相手、そして自分自身に言っているの
ではないかと思えてきたのである。

尊敬されよう、なんて思って尊敬されるわけなんてない。
自分自身がこだわって、やりとおしてその結果なのだ。

尊敬されているか、彼が気にするのは
「自分がきちっとやれているか」を気にするのと同義なのだと。。。

そんなことを考えつつ先日

藤原正彦さんの
国家の品格』を読んでいると、こんな文章が目に留まった。

 2001年の大リーグで、黒人のバリ−・ボンズが白人の
 マーク・マグワイアのホームラン記録70本にあと1本と迫ってから
 並ぶまでに、19打席で12の四死球をもらった国なのです。
 70号はベネズエラ人、71号は韓国人の投手から打ったものでした。

ジャッキーの苦難は今も続いているのだと。。

尊敬って、心で繋がるってそんなに難しいことなんでしょうか。。

なんて思って、CDをがさごそ。

その昔 山岡士郎, (@雁屋 哲, 花咲 アキラ)に教えてもらった(笑)
JAZZの名盤 ビリー・ホリディの『奇妙な果実
をひさしぶりに聞く。

黒人がリンチにあい、ポプラの木につるされて南の風に揺られている
その様を『奇妙な果実』として歌った沈痛な歌。

彼女の生きた時代も黒人差別はひどく、これは彼女の実体験を歌った
とも言われいる。

彼女の歌声はほんとうに沈痛で、しかし、ソウルフルだ。
そんな時代は彼女の一部であり、忘れたい過去であるかもしれない。

それでも歌い続けた彼女に僕は人間の意味を感じたし,
彼の台詞に人間の栄光をみた。
時間も距離も遠くはなれた僕までその声と言葉を届けた人間達にも
それを感じたのだ。


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2006.01.21

九段下、アクエリアス。

今日は仕事で九段下にいった。

寒いのでコートの襟をたてながら、

寒空の下

自動販売機でアクエリアスを飲む。

震えそうな寒空の下、

僕はアクエリアスを飲んだ。

それは普通のアクエリアスだった。
なんの変哲もない120円の清涼飲料水だった。

僕は八年前毎日その自動販売機で夜中にアクエリアスを飲んでいた。

不夜城の三井物産をすぎ、

いつもそこでアクエリアスを飲んでいたのだ。

当時、僕はまだ学生で現役で陸上をしていた。

夜中にジョギングをしていた。

実家から皇居を三周し、九段下をぬけ、市ヶ谷をすぎ、四ッ谷にでる。

気分によってコースはかえたけど

だいたい22〜25km

夜中の1〜3時くらいに毎日走っていた。

相棒はシンパク数を管理するシンパク計と150円。

もくもくと走っていた。
シンパク数が設定の上限を越えないように機械のようにもくもくと。

観客もいない
ライバルもとくにない

ただ、ただ、自分の為に。

皇居で一番に咲く桜を知っていた。

一番に鳴く蝉も知っていた。

そんな四季にかこまれて、孤独に、
自分という存在があれほど
人生において密度が高かったことはない。

純粋に自分の世界だった。

その自動販売機はコースの後半にさしかかろうとする位置に

あった。

夏なんかはそこで給水をとらないと脱水症状をおこし、がたっと
ペースが落ちるので必須だったのだ。

たまには、ふと、うつろに考え事をして飲む。

そんなスポットでもあったのだ。

近い将来のこと
遠い将来のこと

答なんて求めるでなく、身体全体が酸素をもとめ、十分脳に酸素が
いかない状態でうつろに。

今日何年かぶりに訪れたその自動販売機。

ほとんど当時のままだった。

変わってしまった自分をおもうより、
変わらない自動販売機をみて、

時の経過を実感したのがやけに不思議に感じられた。

そして、アクエリアスをのみ、

当時のようにそれを要求していない身体によって、再度、
その差違によって、またさらに、

時は過ぎたのだ、と実感したのだ。

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2006.01.10

お酒を飲んでも、大勢で騒いでも。。

今日から仕事はじめ。

ちらほら年賀状を頂いていました。

特にうれしかったのは

メディコム・トイ 
  ベアブリックのミニチュアが入っているの!!

あとは、こんな言葉をくれた人の年賀状。
勝手に引用させてもらいます。
直接仕事はほとんどないのだけど、打ち合わせと称して
会うと1時間以上話し込んでしまう人。

「お酒を飲んでも、大勢で騒いでも、
 自分の渇きを解消できないことを知りました。
 ただ消費することに依存すると気味の悪いマンションを
 掴まされます。
 世の中は広く豊かです。
 大事なことは自分の頭で考え行動することだと思います。
 いまの自分と、わたしを支えてくださる方々に報いるために
 2006年はもっと挑戦と失敗を重ねて参ります。」

お互いの渇きを潤す。

自分の渇きを知り
相手の渇きを知る

そして

世の中の渇きを知る

知って共感してそこからはじめてはじまるなにかを

知る。

その第一歩をはやく踏み出したいと思います。

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