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2006.05.28

神秘という魔術

荒俣宏さんが

岸田劉生をして、「形に宿る形以上の領域」を表現出来る奇人と評した。

そして、その領域を

内なる美、「神秘」と表現した。

その「神秘」とは

色で形をあらわしたり、
形で色を感じさせたり

する魔術と定義した。

オルダス・ハクスリーは五感は蓋のようなものだと考えた。

宇宙に存在する全ての情報は圧倒的であり、
それをすべて感受すると、人間は情報の洪水にながされてしまい
行動することができなくなる。

そこで生存に必要なものだけを感受するために五感以外を閉じて
しまった。

つまり、五つの感覚に制限してしまったのだと。

ロビンマスクの鎧のように。

(それを解き放つのに彼はLSDを服用した)

こんなエピソードやら考え方を読むだけで、

五感を別個にしないで世の中を感じられると思えるようになる。

それこそ

色で形をあらわしたり、
形で色を感じさせたり、

触って匂いを感じられると。

そういう感覚器のそれぞれを超えた

絵画
であったり
音楽
であったり
文章
であったり

それらを感じられることこそ人間らしさだと思う。

わざわざ、五つに閉じ込めたその知恵を

敢えて越えてみせる。

それが痛快なんではないか。

神秘のベールで世を包むことが楽しいのではないか。

そんな生存にはかかわりのないことを考えるのが

楽しいのです。

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2006.05.06

つまり僕の現在と未来に属する理念だ。

昨今、色んな企業がブランディング、
ブランディングとやっきになっているということは。。

経済の体制にがたがきていることなのではないか、

ふと思うことがあります。

僕の薄学のせいかもしれませんがそう思えてならないのです。

ブランディングの本を紐解く。

そこには企業の昔話からはじまり、昨今の成功事例、失敗事例を
列挙してあたりまえなことを論じているものが大半な気がします。

それができていない企業がわんさかいる、って時点で危ういのでは
と思うのです。

企業の舵が切れない。
羅針盤も読めない。
気候も判断できない。

そんな企業がブランディングという響きでコンサルティングに教えを
請う。

ロゴをマークをかえればそれなりに体裁が整うと思うのって
若者がおしゃれに着飾るのとどこがちがうの?

ふとすると、ビジネス的には大仕事でも実はレベルが低いのではと
ちょっとしらけてしまうのです。

極論、そんなことがわからなくなってしまった企業って本当に世の中
に不可欠なのかいな、と。

その昔雪印には獣医がいたそうです。
契約農家の牛の具合が悪いと雪の中でも飛んでいったと。

あの不祥事発覚当時、雪印はなにを見ていたのか?
明治?森永?株主?
いったいなにを?


もしも、ブランディングが流行るこの御時世が僕の思う徴候なら、
時代はまさしく過渡期。

ただ、企業ってのは組織という見方もあるけれど、お金を産む
システムと捕らえたほうがしっくりくる。
つまりは、大半の僕の稼ぎはそれをまわすことによって得られている
のも事実。

企業をお金を産むシステムとして、お金を稼げば稼ぐだけ
ベターだとすると、僕らペ−ペ−はいくら働いても働かせすぎる、
ということはなくなる。
ひとつのシステムが動くと色々な企業が連動する。
それが資本主義というシステムだ。

そして、僕らはその世界しかみれなくなる。

例えば、おなかをこわす牛乳を作っても、カドミウムを垂れ流しても
実感がわかない。

だって、そんな世界、他人事になってしまってるから。
利益最大化
効率、品質重視
って、その企業というシステム内しかみえてないから。
その外は見えてないから。
(企業内だけではなくクライアントなりも含んだシステム)
被害者が身内、なんて交通事故にあうような感覚なのかも知れない。
(僕自身もそんなものかも知れない。。)

じゃあ、映画ターミネーターのスカイネットの発案者ダイソン博士
のように「あんたの発明したものによって人類は滅亡したんだ!」
といわれないと想像ができないのか。
人類って括りを自分も含めた「死」ってことでさらさなければやっぱ
だめなんかなあ。

「未然に防ぐ」

という考え方は市場経済には向いていない。

それは政治家の仕事だ

といえるかもしれない。

その政治にも無関心な国民。
そんな経済の視野より上のビジョンを明確にみせてくれる本当の政治家
の不在。

学生に向学心がないから教授の授業がつまらないのか
教授の授業がつまらないから学生の向学心が芽生えないのか。

に似ているかもしれない。

ただ、そんなことはどっちだっていいわけで、

自分の立ち位置がどっちだろうと、

かまわないわけで。。

ところで長い上に脱線気味になりますが

「運命」と「使命」って言葉がある。

「運命」って

命の運、ととらえると、僕の場合だと

務と純子に生まれたこと、
今まさに、この時代に日本に生まれたこと

この僕がどうあがこうが変えられない僕のバックボーン。
まさに僕の命にまつわる運勢なのだと。

それは変えられないけど、僕の過去と現在に関連するもの。
過去だから変えられない、それだけだと思うのです。

そして

「使命」って

命を使うってとらえられる。

そんな運命を背負いつつどうやって命を使うか、

つまり僕の現在と未来に属する理念だ。


僕がどこに属しようが関係ない、ってのは
言うなれば、ようやく30年生きて運命ってのを受け入れる
ことができるってことだ。

そして、ようやく使命ってことを命を使うってことを考え
はじめたってことだ。

そして、もう一つ。

命の使い方、それ如何によって培われるのが「品」「品格」
というものではないだろうか。

僕が現役でやってるのは後30年ちょい。
どこまで「品」を高めていけるのか、
そんな「品」を大事にするシステムを構築できているのか。

それが、それを実現することが

「未然に防ぐ」ことに繋がり、
結果
本物のブランドになる

と夢を語りつつ

長いので今日はこれまで。。


p.s.
「品」といってまずはじめに頭をよぎるのは

あのジョナサン・ジョ−スター*がいじめっこから、
エリナ・ペンドルトンを助け、返り打ちにあった、その後、
さらに追い討ちをかけられるとわかっていながら
イニシャル入りのハンカチで血を拭くような毅然と
した態度なのでした。

*ジョジョの奇妙な冒険 第一部主人公

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