忘れるということは先に進むということ
世の中の出来事は複雑怪奇に絡み合っている、リンクしてる。
今仲良くしている人、巡り巡れば、辿って行けば前世殺しあっていた
相手かもしれない。
世の中にはそんなリンクの軌跡、つまり文脈ってのものがる。
それを無しにすることはできない。
それは過去の所有物だから。
過去の領域には手がだせない。
ドク(from バックトゥザフューチャー)にだって大変な手間がかかる。
ただし、敢えて、リンクを外す事はできるはずだ。
ふと、茂木健一郎さんのブログを読んでそう思った。
茂木さんの同僚がある人の理論をこけにしていた。
そんなこんなでお昼になってお昼に出かける際、
茂木さんはそのこけにされた人を食事にさそってしまった。
そこには
茂木さんと同僚と、その人には
”こけにしていた、されていた”
という文脈がある。
だが、それがあるから
”この人とは楽しく食事はできない”
という関係を紡ぎださなくてはならないのだろうか?
僕はそんなことはないと思う。
リンクを外せること
それが”忘れる”ということであり”水に流せる”ということ
ではないだろうか。
そのリンクは
”外した方が良い”のか
”しっかりつないでおいた方が良い”のか
それを見定めるのが大切なのではないだろうか。
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コメント
はじめまして。
とても興味深い内容の記事でした。
茂木さんのブログの全文も読んでみました。
『本当は痕跡は残っていても、
それとは関係なく「空白」をつくり出す能力。』
それが叡智と呼ばれるものなのかもしれませんね。
投稿: TANTAN | 2007.04.03 02:11
TANTANさん
お返事遅くなりました。
そうですよね「空白」。
過去はみな持っている。
それに拘泥するのではなく
未来のアクションがなにも過去に縛られたものだけはないはず。
過去を踏まえて
今と未来の僕らがつくっていけばよいのですもんね。
投稿: Anonymous | 2007.06.02 11:42