« 人は開発しては縛られてゆく | トップページ | 基本は「あいこ」 »

2007.06.17

僕ら「意味」食むウロボロス

とあるデザインの打ち合わせ

「具体的なものはイメージに引っ張られる」だとか
「うさぎ、ではあてはまらないイメージがつく」だとか

煮詰まり

関係者各位言葉すくなになる。



ふと

「意味」というものに踊らされている

そう思う。



人間を
人間の世界を

その根本を形成する

もっとも人間らしいもの



それは

「意味」ではないだろうか。

最高に人間らしい人工物。

神から授かったのではなく自分たちで築き上げたバベルの
断片。

意味というその破片を積み上げ

天を希求するか。





あなたと僕のあいだに
空と僕のあいだに

僕らは

なんにでも意味を振りかける。

なんにでも味の素を振りかけるように

なんにでも意味を振りかける。

「意味ないじゃん」とこきおろし
「意味なんてない」という意味にすら溺れる。



ウロボロス

その精力絶倫の龍は

目に入ったものをなんでも食い尽くす。

山だろうが海だろうが空だろうが太陽だろうが

食い尽くす。

そして、自分の尾が見えたとき

そいつはなんの躊躇も無くかみつく

自分をも食べ尽くすという自己撞着。



僕らは意味を食む。
意味の意味を食む。

その先にはかならず意味を付与することのできない
なにかがあるはずなのに。。。

僕らの脳みそは意味しか産み出せないのか

そう考えるのも意味が欲しい故か。


意味を僕らは越えられるのだろうか。
越えた先にはなにがあるのだろうか。

|

« 人は開発しては縛られてゆく | トップページ | 基本は「あいこ」 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 僕ら「意味」食むウロボロス:

« 人は開発しては縛られてゆく | トップページ | 基本は「あいこ」 »