やさしさの賞味期限
誰もいない観客席を降り
トラックを逆に歩いてみる。
3000m障害の水壕
水もなく、緑もなく人気のないそれはさながらトマソンのよう。
近くによると、スパイクのなまなましい無数の傷跡はさながら古戦場跡。
花火大会の試し撃ちが始まる。
鳥がざわめき、木々を揺らす。
号砲ではなく、反応するのも選手ではない。
・・・
そうそう今日は花火大会で。
会場ではけたたましいほどにサザンが流れていて
その俗で安直な夏に
不覚にも切なくなる。
そうだね、僕の夏のきっと数パーセントくらいはサザンで構成されているかも
しれないもんね。
・・・
あの人はうれしそうに懐かしそうにこういった
「ディックはとってもやさしいの」
フィリップ.K.ディックをしてやさしいと評したのになにげにはじめて出会ったことに気づく。
ディックの描いた僕らの過去から見た未来が
時に熟成され
時代に濾過され
風雨にけずられ
やさしさとして降り注いだこの僥倖。
そして、ディックからやさしさを抽出したやさしさは僕にも降り注いだのだ。
・・・
きっと
ディックのやさしさの賞味期限は宇宙食のそれよりはるかに長いのだろう。
長い長い物語を紡がせるほどに深いのだろう。
遥か彼方や遠い未来を想像させるに足るほどに重いのだろう。
それに比べて
僕のやさしさは
今だ即興芝居の域を脱せずに
いつまで続くかもわからない。
今一番信頼できないやさしさは
断然自分のものだと思う。
それは皆からやさしさをもらっている証拠でもあるのだけれど。
「流れよわが涙、と警官は言った」
けれど
涙を流させるも止めるもその源をやさしさに出来たなら。
そう思い即興芝居の稽古をするのです。
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