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2007.07.27

それを人は野暮という。

今日は

晴れ間にじっとりとした雨が

降り

深い不快に包まれて


油蝉にまじって、夕方、ヒグラシがはやくも

鳴き

来たかどうかもわからない夏をなつかしむおかしな脅迫観念を
植え付ける。


僕は

正直に臆面もなく

欲望を吐き出す。


誰も幸せにはさせないそのしわよせはいったいだれがかぶれば
よいのか。

もしこの性癖が遺伝であるのなら

あの世にいる親爺さま

あなたはどのように


幸せになったのでしょうか

どうやって

人を幸せにしたのでしょうか。

切実に教えを乞いたいのです。



すべてに蓋をすればすむことなのでしょうか
すべてをぶちまければよいのでしょうか


蝉の抜け殻には

同じ数だけ夏を謳歌する蝉がいる。

だけれど

僕は抜け殻のなかに空虚を友に

その中に佇んでいる。。

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