真夜中の一気飛び。
僕は飛躍したい。
なにかを思い付く。
それはささいなことだって。
夜中に本を読んだり、考えたり。
だれだってあるでしょう?
眠気を吹き消す。時間を忘れる。
文章との出会い。
考え方との出会い。
思いもよらぬ、一気飛び。
足し算でもなく
掛け算でもない
一気飛び。
生産的とかでもなく
有為的でもなく
一気飛び。
ギアチェンジとか
早送りとかでもなく
一気飛び。
そう、一気飛び。
そう、それを一般には飛躍という。
理論は飛躍が御嫌いで。
なぜかというと
理論は足し算だから。
理論は積み上げるものだから。
理論は
棲む場所を決め、そこに家をたてるようなものだから。
飛んでしまったら、イチからだから。
最初からまたやらなきゃならないから。
世間は論理の飛躍は御嫌いだ。
人は物差をつねに携えて
なにかというとなにかを測る
それも根本には論理の蓄積がある。
測ることで、外部との関係を保つ。
測ることで外部と折り合えることができる。
そこには飛躍はない。
立ち位置が定まっていることが条件だから。
立ち位置が変わる、飛躍はない。
でも、夜中の一気飛び。
僕は好きなんだよなー
一気飛びして立ち位置が変わってはじめて
昔の自分を笑えるようになる。
「若かったなあ〜」と
そんな昔の点景を見るのも悪くない。
そんな飛躍を促す論理ってあるのだろうか?
論理の飛躍
飛躍の論理
あるんだろうか?
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