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2007.07.05

そうか、人はそれを持たざるを得ないのだ。

まず、最近読んだ本をそのまま引用させてもらう。

プロレスについての文章だ。

 その上では茶番だ。
 でも茶番とはいえ、あの時期にアメリカ国内で、
 これほど正論をアピールしていたテレビ番組はおそらく他にない。
 俗を徹底すれば反対側に突き抜ける。
 虚実の狭間がたてまえや綺麗事を粉砕する。
 片足の障害者レスラーが悪役レスラーたちからリンチに遭い、
 団体オーナーであるマクマホン・ジュニアがリング上で
 実の娘を殴り倒し、
 女子レスラー同士のレズビアンやネクロフィリアまで登場する
 WWEは、今も徹底してアナーキーだ。

 まるでソープオペラのように低俗でアンモラルな幾つかのストーリー
 に身を委ねながら、

 レスラーたちは皆、

 プロフェッショナルであることに、

 喩えようもないほど強い矜持を持っている。

 言い換えれば、矜持を持たないことには持続できないジャンルなのだ。
 ヒールもベビーフェイスも皆、
 この薄い皮膜を必死で守り続けている。

 だからこんなに哀しい。

 記録や強さだけじゃない。

 弱さや屈折も垣間見させてくれる。

 その余韻に、僕は毎回しみじみと浸っている。

            『世界が完全に思考停止する前に』森達也著


そうか、そんなんだよ。

かつて僕は矜持って、それを持つことって

ただただ立派なことで、すごくプラスで、誇り高いものだと思っていた
のかもしれない。

でも、そうじゃない。

僕らはこんな世の中で矜持ってもんを持たざるを得ないのではない
だろうか。

なにもソープオペラほどに俗なのはリングの上だけじゃない。

それは僕らの職場も僕らの家も
それこそ真剣に人を好きになる状況だって存在するのだ。

それらは僕らがソープオペラを演じる舞台なんだ。
しかも僕らは観客もいない三文役者なんだ。

ばかばかしくってつまらない

でも僕らが演じる舞台はまさにここしかない。
僕らがなにかと戦うリングはここにしかない。

だから矜持ってもんにすがるしかないのではないか。

それってすごくもの哀しくいことなんだ。

矜持は涙ととなり合わせなんだ。
矜持は絶望との裏表なんだ。






僕はプロフェッショナルってのは

自分を知る

自分の才能の限界を
自分のおかれている立場を
自分が実現出来る限界を

知り

自分が作り上げるものの限界を
自分が作り上げるものの小ささを
自分が作り上げるものの負の要素を

認める

ってすごく哀しい道だと思っていた。

それが、この「矜持」という言葉と一致したのだ。

そして、なんでこんなことをつらつらと書いたかと言うと





ぼくは


その哀しさこそ出発点だと強く思うからなんだ。

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