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2007.07.18

しばしのお別れ

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そうか

彼女は理解したのだ


それが、しばしのお別れであるということを。

そうか

彼女は認識したのだ

だから
涙は笑顔に変ったのだ。


   ・・・

なぜかもてもてである。


なぜかもてもてである。



そこでは唯一の肉体派俳優である。
代員なし。
欠員不許可のそのステージで

だからもてもてなのである。。


姪が3歳になった。

いつも遊びにいくと

最初

目も合わせない。
徹底的に距離をキープし、端からちらちらと視線を投げてくる。

気があるに違いない。

その後も

つねにロックオンは解除されることなく

距離を縮められる。

そして


チョコーーン

と唐突に膝の上にのってくるのだ。

気があるに違いない!


距離がゼロになった途端にもうベタベタである。

そして短い蜜月期間が過ぎると

彼女はボウケンジャーとして
僕はとにかく名称不明部署不明の悪役として

終わりのない舞台へとたつことになる。

あのボウケンジャーの得意技は

強烈なパンチと
するどいひっかき攻撃

おかげでまじめに生傷が絶えないのだ。。

   ・・・

そんな決闘が終わり

帰り道

いつも駅まで送ってくれる。

うまれたばかりの時は

僕をのせた列車が駅をはなれると

大粒の涙をボッロボッロッ流していたらしい。

最近では

おーい!

とうれしそうに手を振る。

おかしなもので

泣いてくれないとそれはそれで寂しい気もする。

でも、この差ってやはり成長というものなのだろうか?

彼女が変ったのだろうか?

いや

正確にいうと

関係が変ったのだ
意味が変ったのだ

そう思った。

生まれた当時

彼女はまだバイバイと言うとき

「また会える」ということを念頭においていなかったのでは
ないだろうか。

「さよなら」や「ばいばい」の重みが違ったのではないだろうか。

だから

頑にそれを拒否し涙を流しに流したのではないのだろうか。

それから

彼女はだんだんと経験したのだ。

「さよなら」は「おはようございます」に続き
「ばいばい」は「またね」と同義語であると。

僕との

バイバイも何度か交わし

それが

しばしのお別れであると

認識したのだ。

今の彼女にとって

日常は

バイバイの際の涙を笑顔に変えるほど

確かで強固な約束事なのだ。

バイバイは

断絶の呪文ではなく
再生のおまじないなのだ。

   ・・・

そして

僕がそうであったように

彼女も

いつかは再度「バイバイ」の切なさを知るときがくるのであろう。

僕は

そんな「バイバイ」を彼女に言いたくない

そう思う。

そして

そんな「バイバイ」を言いたくない関係こそ
尊いのだと。

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