笑いし為にここに集いし。
昨日
とあるつてで
東京ミッドタウンにてイッセー尾形さんの一人芝居をみにゆく。
はじめ
「ふ〜ん、こんなもんな」なんて思ってみていたものの
気づくと
彼の一挙一動に笑いがもれる。
表情の変化ににやけてしまう。
う〜ん、レベルが高い。
楽しいひととき。
・・・
御芝居や、映画など
娯楽を娯楽として楽しめる観客としての一番良い状態って
「それに飢えすぎていない」というのがポイントだと思う。
過剰に名作だから涙を用意して臨んだり
お笑いだから観る側が笑いを用意してたり
涙に飢えすぎていない
笑いに飢えすぎていない
というような受け身なんだけど、ニュートラルな状態がよろしかろうと。
「イッセー尾形の一人芝居」
これに臨む場合、いやでも笑いを意識してしまう。
いやでも笑う事を強いられる。
だから、僕は一番はじめ、逆にもっのすごく構えていた。
その場に流され、笑いを用意してきた人の笑いにつられずになんて。
(なにしてんだろ。。嫌なやつだ。。)
笑うという強迫観念から逃れたいと。
それを
イッセー尾形は
そんな人もいるに違いないと
知っているかのように
徐々に距離を詰めてくる。
敢えて意識せず、
いつもやってることをやってるだけ、なんて風情の職人的な所作を
淡々と。
一度強迫観念を越えた笑いを捧げてしまったら、そこには距離はなく
舞台と客席は一体となる。
そうやって取り込む術を知っているかのような、そんな芝居を
僕はレベルが高いと思った。
そこは
作りあげたネタの単なる発表会なんかではなかった。
「笑い」について
「笑う為にそこに集う」ことがなんなのか
まで考えた演目のような、そんな充足感を僕は感じた。
豊かな笑い。
いいじゃない、たまには。
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