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2007.08.29

余韻

暑い暑いと呪文を投げつつも

ようやく

「夏の終わり」

なんて台詞を聞くようになってきました。

この時期いつも漠然と思っている事がありました。

「夏の終わり」

とはよくいうけれど

「秋の始まり」

とはあまりいわないなあ、と。

 ・・・

生を重ねてゆくにつれ、
その良さに味わいを見いだすものがいくつかあります。

そのなかの僕の好きなものの一つに
(好きな日本語の一つでもある)

「余韻」があります。

誰かとシェアするものでもなく
エピローグとしてかたるほどでもない

何かの終わり

それがいい結果であろうとそうでなかろうと

当事者である本人でしか味わえない後味
当事者だったその時の自分から離れ、
その何かをスクリーンで観ている観客のような立ち位置で

味わう

極めて個人的な営み。

なにかの終わりを前提とした

断絶、絶縁があまりにも悲しすぎるから

人が描くグラデーション。

消えるために用意された最後の調べ。

それに似合うのは大粒な涙なんかではなく

哀しさ溢れる顔から咲いた泣きそうな哀しくやさしい、静かな笑顔。


 ・・・

「夏の終わり」


ああ

そうか

そこにあるのは「余韻」なんだね。

ああ

そうだ

その音色を味わい愛でているのだね。



 ・・・

今日も大阪で熱い戦いが繰りひろげられています。

On Your Mark(位置について)

という呪文は選手だけではなく、僕ら聴衆にも効き目はばつぐん。

いかに速く、いかに遠く、いかに高く

を競い、技を競っている。


競技を終えたアスリートの皆様

表彰台に上れる権利をもらえる人は各種目3人だけです。

でも、「余韻」にそんなものいりません、誰の許可もいらない。

「夏の終わり」がそれを用意してくれています。

観客なんていなくなった

熱も灯りも消えたグラウンドで

あなただけの豊かな音色を味わって下さい。

まだまだ大阪は熱い。

だけど、破れた選手たち、勝ち誇る選手たちの余韻が
僕には聴こえてくる気がするのです。

夏は暑い

夏はもう終わろうとしている。

そのかすかな切ない響きは

思い出へと昇華しようとしている。

夏はもう終わろうとしている。



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