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2007.08.05

書き写す。

こうやって文章を綴る。

現実を切り取り
思いを掬いあげ

それらを写し取る。

時に正確に模写し
時にその思考を発端に思うままに描き上げる。

その量が増え始めると






落ち着かない







現実より思いより

写し取ったものが濃くなる

写し取ったところで

進んでしまう現実は進んでしまうし
手にしたい未来は以前遠く

写している最中も

こうやって、空蝉は確実に流れ、また明日がくる。

それらを削り

それらを写すというアンバランス、不安定。

それは鉛筆を削りなにかを書く
そんなイメージが近い。

確実に減っていく鉛筆の芯。

不確実に蛇行しながら紙面に表される思いたち。

だけれど

一度も削られた事すらない鉛筆より
短くなれど、まだ書く気満々のエッジの効いたやつのほうが小気味よいではないか。


・・・

どらえもん

の道具のひとつに「かげ人間切り取りバサミ」というのがある。

"人間の影をはさみで切り取り、切り取られた影は活動を開始する。
30分の間、影は素直に命令を聞いてくれる。
この間影は声を出すことはできない。
しかし切り取ってから30分たつとずるがしこくなり、
自分が影であることが嫌になり、影が本人と入れ替わろうとする。

30分後には影は自分の意思で勝手に動き回り始め、口をきくようになる。
やがてひとりでに、真っ黒な影の姿は人間に近づき、
逆に影の主である人間のほうが色が黒くなり、
2時間ほどで両者が完全に入れ替わってしまう。"

書き写す行為をする度に

この道具が頭をよぎっていた。

それは影を切り取る行為に似たイメージがあった。

切り取ったものも
自分自身も

同じものであるはずなのに

逆像と正像
陰と陽

切り取られた瞬間にそれは別の2つになる。

その後は別々の時空を生きる。


そしてこうも思った。

それを、切り取る行為を生業にしている人

それは狂気をはらむに違いないと。

そうでしょ

耳をちぎる画家がいるように

そうでしょ

これまで天に届くほどに星の数ほどに切り取った影にとってかわられた表現者
はいるでしょ。

切実に

この世を
この自分を

思うが故に。

切り取られて

自由を得たその影は

虎視眈々と本体を乗っ取るチャンスを窺っている。

彼らに

僕はどう写っているのであろうか。


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