そんな無理矢理発する白黒に
これまで生きてきて
一番頻繁に使っているコミュニケーションツール。
年をとり
その度に使い方がうまくなってしかるべきだ。
使いこなせて当然だ。
だけれど、
いつだって肝心な時にそれは役に立たない。
そのツールとは
口である
言葉である
音節をくぎり、意味をもたせ、声となし
想いを紡ぐ。
その瞬間、それを、言葉を、選べる、その選択肢は1つだけ
口という器官が1つしかないから。。
それに対し
この胸に去来する想いは果たして何種類あるというのか
意味をもたせた言葉でいうなら、それは数知れず。。
それは年をとるにつれ、複雑に、曖昧に、色々な事や人が絡まりあい。。
その反比例は著しい。。
そんな色々な複雑を
いびつに強引にカットする。
それを瞬時に行い、
口からでるそれは、でたらめじゃあないのだろうか。
大事な事ごとを切り捨て、ありもしないものを着色し
とんだ厚化粧。
「話してくれないとなにを考えているかわからない」
そう詰め寄られても
頭の中では色んな意味が錯綜し
心の中では詰め寄る相手の心情と自分の心情が火花を散らす。
心情を汲み、発する際には全部こぼれてしまっている
そんなみじめな自分の姿。。
こぼれたミルクはもとにはもどらないのにさ。
「結局そういうことでしょ?」
そうやって乱暴に鉈で姿を削った真実という彫刻に
いったいなんの意味があるというの?
「そうだよ」
「ちがうんだ」
「すきだよ」
「きらいだよ」
「あいつが正しい」
「こいつが間違ってる」
そんな無理矢理発する白黒に
耐えられなくなって
僕はあなたを突き飛ばし
僕はあなたをぎゅっと抱きしめる。
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