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2007.10.30

右手のリズム/青春の残滓





夜中に走る。

色々なアクシデントで、ジョギングには使った事のないシューズで。

これがソールが硬質で

地面に接地する音も硬質で気がひきしまる。

踵をついて、

タッ

つま先で、

タッ

心地よく
小気味良い

地面とのセッション。

自然とアップテンポに。

目を細める
情報を遮断し
自分に
走る事に

集中する。

ストライドをおとし、ピッチに移行し、

ああ、忘れていたよ。

そうそう

右手を巻き込むように

リズムを刻む。


淡々と

なんの情熱もないような歩みでも、

ほら、そこにも厳然とあるじゃない。

タンッ
タンッ

ほらタンタンと。

それぞれのリズムが。


そうだ

僕は気持ちいいとき

右手で走っていたのだ。

右手のリズムで走っていたのだ。


ああ、もしかしたら、走っていて、いままで走ってきて

一番うれしいのかもしれない。
走る事の音楽性、そんなことなんて考えた事もなかったんだもん。

何千キロ走ってきたろう?
何万キロ走ってきたろう?

その時は気づきもしなかった。

自分がリズムを発明しているなんて。

ストイックな鍛錬という無味乾燥だと思っていたのに

僕は奏でていたのです。

それはあこがれのギタリストを模したなんてものではなく

ごく

素朴に

ごく

自然に

ごく

あたりまえに

誰を模したわけでもなく

誰に教わったわけでもなく

誰に聴かせるわけでもなく

僕はリズムを刻んでいたのです。
僕が発明していたのです。

僕は当時自分が大嫌いで、

嫉妬
羨望
虚栄心

壁を越えられず
妥協と結託し

嫌いだった。

それをどうにかしようと、地味なことを、と思わない事もなかった。

だけれど、
心臓がビートを刻み

右手でリズムを刻む

おいおい

派手だよ

おいおい

楽しいじゃない

タン
タン
タン

タッ
タッ
タッ

トク
トク

ドッ
ドッ
ドッ

誰もしらないリズムを
誰にもまねできない旋律を

ああ、
いつまでも
どこまでも

いける気さえする。

ああ、
いつ以来だろう

僕は

走りながら

はしゃいでいる。

もう

誰とも競えない

もう

誰も負かす事もない

かさかさの

青春の残滓たちよ

豊かで寂しい残滓たちよ

ああ、残滓でさえ、これほどに感動的だとは。
あのころの苦悩は捨てたものでもなかったと言えるのか。

すばらしき、しみったれた残滓よ。

今宵

また、リズムを刻もう。





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2007.10.25

ちぐはぐ

ほどけた右足の靴
キュッと結び直す。

左足のきつさと、右足のきつさ、そのちぐはぐに。



本を読み終える
それに足りないもうひと駅に。


切ろうかどうかなやみつつ
まとまらない髪に。



言おうかどうか迷う
どうでもいい軽口に。



おあつらえむきの瞬間に
一瞬遅れる笑顔に。



結局甘すぎる
コーヒーの砂糖一杯に。



なめようと思っていた
溶けてがびがびになったキャンディーに。



連絡したくて
結局できない電話一本に。






そんなすべてのちぐはぐで
今日は出来上がる。

そんなちぐはぐという偶然と
そんなちぐはぐという必然で

きっと明日はできあがる。




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2007.10.16

script

場所はスターリングラード。

時は大戦中。

後世に伝わるスターリングラード攻防戦。
その大規模の市街戦の最中。

一人の小説家は、大海原に漂う枯れ葉のように孤立無援の状況下にいた。

彼はタバコを吸いたかった。

気持ちを落ち着けるためか

末期の一服と

観念したのか。

彼はタバコを吸いたかった。

ただ、タバコを巻く巻き紙がない。
それどころか、紙すらない。

彼が持っている紙といえば、この10年を費やしてきた原稿のみ。

ふと、その原稿と彼の目があう。

沈黙が流れる。

それをかき消す銃撃戦と砲撃がさらに迫ってきている。

彼はタバコを吸いたかった。

おもむろに彼は立ち上がり、ためらいもなく、彼は原稿を破り、
5分ともたぬタバコを満喫した。

銃撃戦と砲撃と、それとは無縁のたゆたうタバコの煙。

10年寝かしたタバコの味はいつもと同じで、
それはもう贅沢だった。

・・・

大切なもの

時々わからなくなる

なにがしたいのか

時々わからなくなる

どこにいきたいのか

時々わからなくなる

普段考えている、夢や希望や。。

それは総じて社会的なものだ。

原稿は、そのままではまったく社会性をもたない。
それは小説かの個人の持ち物だ。

そして、彼はその原稿に社会性を地位をもちろん持たせたかった。


それが、個人のささやかな愉しみに負ける

そんな瞬間。

それは個人の生命が終わる時には顕著だろう。

とても個人的なもの

大切な人との逢瀬
大好きなものと過ごす日々。

それは刹那で、その時しか効果をもたぬ。

意味というものをベネフィットと訳すなら、無意味と言えてしまうような
人生を足を引っ張るもの。

でも、それがない人生なんて。
でも、それが見えなくなる人生なんて。

そんな矛盾が。

僕は人生というもののなかで気に入ってもいるのだ。

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2007.10.07

声で触れる、言葉を触る。

ある人は

自分の声を肉体の一部と感じると。
自分の口から飛び出たその想いの波動は

飛び道具なんかではなく
自分から切り離された単なる空気の振動などではなく

言葉という触覚器を使って相手に触れているようだと。

見えない手で

「愛している」

と、髪をなでる。

なんて艶かしい。

なんて敏感な。

きっと、言葉をそう意識することができたら

やさしい言葉にはほんとうにやさしさが宿り。
悲しい言葉にはほんとうに悲しさが宿るのだ。


それとは別に

僕が好んで使う道具に、ほら、今ここにも。
言葉、文章というものがある。

それは相手に触れられない。

そうではなく

その言葉は、想いを具現化し、自分の外に保存できる。

それは僕の分身のようなもので

それを

僕は触る事ができるし

相手も

それを

触る事ができる。

それは

ある時は浅ましき自慰であり
またあるときは誰かとの交渉にもなりえる。

それは

性交渉よりも

ある種快感を伴うかもしれない。

性と性の掛け合わせよりも

その言葉を同時に愛でる、感度を持ち合わせた人の掛け合わせは

圧倒的に希有だからだ。

だけれど

それにしたって、

僕の発する言葉たちは、いつだってわかりずらく、いびつで。

人はどんな言葉だって

産み出せると錯覚していたけれど

僕の発する言葉たちは、いつだって不可解で、矛盾に満ちて。

だけれど

必死に孤独に耐え

今日も誰かを待っている。

誰かに触ってもらえる、言葉に触れてもらえるのを

今日も陰湿に待っているのだ。

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