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2008.03.22

宇宙服ごしのキス。潜水服を着ての性交。




蝶を握りつぶす。


それは音もなく崩れさる。



僕の手は鱗粉で彩られる。



潰したのは僕だ。



其の生命を握っていたのははっきり、僕なのだ。



だけど、なぜ。



蝶は



ライオンなんかより
サメなんかより



まして、もちろん、僕なんかより



自由なのだ。



・・・



僕は苛立って



もうひとつの手で、また蝶を握りつぶす。



さっきより強く。



幾度も幾度も潰し続ける。

僕は鱗粉にまみれる。

極彩色の鱗粉は僕に美しさを付与しない。



蝶は



ライオンなんかより
サメなんかより



まして、もちろん、僕なんかより



美しいのだ。



・・・



「現実というのはあらかじめ録音されたなにかを再生したものにすぎない」

W.バロウズは言った。



僕には結局醜悪な再生しか与えられていない。

いままでも、これからも。



蝶は結局美しき再生しか与えられていない。

いままでも、これからも。



僕はみのがさない。



僕を愛したあなたの目が蝶の美しさに釘づけになるのを。

あなたのこころが僕を置いて、それに夢中になる一瞬を。

そしてあなたはなにごともなかったように僕を抱く。

僕はなにごともなかったようにあなたに抱かれる。

いままでも、これからも。



・・・



50万円の枢密卿お墨付きの聖母像。

自由から一番ほど遠い存在。



宗教と政治と経済と、各界を渡り歩く淫売は淫らな後光を点滅させ、
したり顔で慈悲を説く。



そのしたり顔が実はお金になるという確信犯。

そのしたり顔が実は一番性欲を喚起させるという罠を張る。



・・・



ライトスタッフを備えた宇宙飛行士。

新しい新世界を求めて宇宙へと飛び立つ。

でも、彼らが求めているのは所詮地球の延長。

旧世界が前提の旧世界の法に則った世界でしかない。

彼らは『2001宇宙の旅』のハルの反乱なんてこれっぽっちも想像していない。



地球から隔離され、自分と同じ種族との交流が断絶される。
まさしく、それを「新世界」「誰も知り得ない新世界」と呼ぶにふさわしい
彼方で、僕ら種族は自由を持て余し発狂するしかそれを受け止める術を
しらない。



そこで、僕らは蝶のように自由に舞う術を持たないのだ。

宇宙服は、潜水服とまるで変るところはない。



それらは僕らに不自由しか与えない。


・・・



僕はいつまでたっても



生に
性に



縛られている。



過去に
未来に



縛られている。



自由に
権利に



縛られている。



いままでも、これからも。



宇宙服ごしのキス。
潜水服を着ての性交。



僕は蝶を握りつぶす。
僕は蝶を踏みにじる。



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2008.03.07

package




昔の人はうまいことを言う。


神様は

人を選んで栄光というシャワーに浴させる。
そしてのぼせる前に
失墜というタオルでくるんでくれる。

と。


ここで、神様の腕前にいつでも舌を巻くのは。



いつでも絶対に、ネタを悟られないことだ。
しかけを人間に気づかせないことだ。


それこそ、それは神業と呼ぶにふさわしい代物だ。


人間はいつでも、その予兆にすら気づきもしない。


あと数秒で、シャワーが止まってしまうとしても、
ほんの数秒前にシャワーが止まった人をみて


腹をかかえて笑うほどに



人間は



無邪気に、いつでも、


そう、なにやら巷では「運命」と呼ばれる神様の用意する喜劇に対して


無防備だ。



・・・



本を手に取った瞬間。

僕は知っているはずなのに。



それが終わるということを。
読み終える時がくるということを。
読み始めた、スタート地点で、
いや、それを手で掴んだ時点で。
いや、棚に入っている姿を見た視点で。

僕らはその終わりを、終わりへの道のりの長さを測っているくせに。

あの紙の束。
249P

あの直方体。



あの物体自体が、終わりを暗示しているのに。

あの物理的な厚さは、物語のボリュームをあらわしているのではない。

それに終わりがあるということを僕らに伝えているのに。



その存在が。

質量が。
体積が。
重量が。

存在のひとつひとつが
存在の全てが、
あらゆる存在が、それが終わることを意味している。

ただ、そのためだけにあるっていうのに。



生が死を表現している。

神は嗤っている。

そうだよ、君たちは終わりに向かって全力疾走しているのさ。
限りない未来へ飛翔していると思っているかもしれんが、
栄光と転落がセットのように、

君たちはせっせと

終わりという無にデコレーションしていただけなんだよ。

ケタケタケタ!



・・・



パッケージ。


人間が人間という有機有限の存在の中で、味わえるように、
世の中をモジュール化したなれの果て。



例えば、壮大なストーリー。
余すところなく書き綴ってみようか。
それを8000万ページにパッケージ化すると
厚さ6,4km。
寝食を忘れて100年ばかし。

人間個人ではとても消化できない。



人間が人間という存在の中で、気軽に楽しめる、
サイドボードにぽいっとおけるサイズに。
起承転結という骸骨に剥がされた
終わりが見える、透けてみえる、そんな風体に。


骸骨じゃあ、どんな美女だった愛せないっていうのに。



・・・



僕らはきっと器用になったのだ。


なんでも


パッケージ化して、
個人で味わえるように工夫して。


いくつでも、むさぼるように。
「消費」という教義に背くことなく。



きっと



感動も
衝撃も
悲しみも
喜びも


すべてを細切れにできる。


笑顔も涙だって。


好きな時に幾らでも。



・・・



昨日

廊下の電球を換える。
時計の電池だって換えた。


なんのために?


現状を維持するため?


うそおっしゃい。


また電気が切れるのを待つためさ。
また時計が止まって時においてけぼりをくうのを待つためでしょ。



・・・



僕は


あなたと出会った。


僕は


あなたと恋に落ちた。


なんのために?



・・・



神様が用意してくれた喜劇?
人間が用意したパッケージのひとつ?



・・・



神様

神様の喜劇と
人間のパッケージに

懐疑的で若干の嫌悪感を抱いている僕も

ひとつの喜劇でありパッケージなんでしょうね、きっと。

ケタケタ

嗤うといいですよ。




でも、お願いです。




もう一度彼女との喜劇の幕をあけてくれませんか?
もう一度「彼女との恋」を売ってくれませんか?






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2008.03.04

世界の涯、僕の名前、物語のはじまり。


そこはこの世の涯だった。


僕はその時、この世の涯にいた。


圧倒的に広がる水平線。
空を低くする蓋のような厚い雲の水平な壁。

乾いた大気に轟き渡る稲光。
発光するグリーンの空。


この圧迫された垂直に対する、圧倒する永遠の水平、

この縦横比を

世界の涯、と呼ばずになんと呼べばいいのか。
世界の涯、その証明はこの景色で充分だった。



・・・


そこには小屋が一軒ぽつんと忘れられたかのように建っていた。
きっと、羊飼いの小屋の典型、なんてものがあるのならば、
この建物はズバリだろう。

軒先に

長靴が干してある。
幾分小さめのものと
異様に大きめのものと。



白いストライプ柄でネイビーのそれは。


昔あった平和の象徴のようだった。


きっと元の住人はカップルだ。

きっと静かで幸せな日々がここにあったのだ。
その証拠に、
いくら時間が過ぎようと、
なんの違和感もなく、
誰でも、
心穏やかな生活が 昨日の続きのように スタートできる、
この小屋の佇まい。

心地よい温もりを讃えた静謐がそこにはあり
優雅さにはかけるとはいえ、数少ないが十分な光の束が。
日常のありふれた言葉たちと、
食物を口に運ぶだけで口の役割が済んでしまう。

そんな調和を制御しているような この小屋の佇まい、が。
なにも語らぬ語り部として僕にその生活を教えてくれていた。

ただ、彼らはそこにはいなかった。
僕は待つつもりはなかった。
きっと、彼ら、なにか、すでにはじまっているのだ。





元住人の行方。



やりかけのチェスと。
くり返したソリティアの残骸だけが、
なにかの終わりと始まりを物語っていた。



・・・

僕には記憶がなかった。
というより 物語れる過去の一切を忘れてきてしまっていた。

それならば、いっそ。 いつの時代でも、2、3の歌い手が歌うように、
過去を勝手につくっちまえばいい。

自由に書き換えるんだ。

だけれど、次の瞬間、僕は筆をうっちゃっていた。

なんといっても、自分の名前を決める、
というドラクエという一時期はやったTVgameでいうの最初の関門で
難渋してしまうのだ。

それは確実に、親の仕事の領域だったし、
それはたまに、祖父の楽しみの一部でもあったからだ。

自由に名前を決め、それを語るということは
「誰もみていないから服なんて着なくていいよ」
と言われるくらい居心地の悪い自由でもあった。

・・・

僕は小屋を動き回り、かつてここにあっただろう生活の残滓から、
それらをなぞりながら、自分の過去を描いてみることにした。

驚くことに、すらすらと過去は紡がれていった。
それも、何通りも。

そのどれも、リアルだった。
飲んだバーボンの味。
降った雨の冷たさ。
変る信号に急ぐどたばたから。
愛した女性の顔、肢体。

どれも、この小屋の静謐がスタートだった。
しかし、いつでも、この小屋というキャンバスなんて
まるでなかったように 筆は生命を得たかのように独自の曲線を描き続けた。
五線譜なんておかまいなしに。

きっと、オリジナリティとはこんなもんなんだろう。
妙に得心した面持ちだった。

・・・

そのうち、焦点が元住人にあてられると、
彼らの未来、すでに行われたに 違いないが、未来を想像するようになっていた。

それは、この世界の涯を始点にした、僕の未来の物語と同じだった。
ところが、 未来を想像するということは、
かえって、 現実に戻されるという意外な背反する性格を持っていた。
未来に対する勝手な希望的観測ってのは、
誰だって日常的に行うことだからだ。
そして、経験上、
甘い分、痛いしっぺがえしがくるもんだとみんな学んでいるものだからだ。

過去はその場面から勝手に物語をスタートできる。

未来は起点を現在におかなければスタートできない。
すくなくとも未来には現在というアリバイが必要だ。


僕は未来を作り始めた。

時は動き始めた。



・・・

その未来の物語、僕のはじまりは、
この世界の涯のこの小屋から出て行くことから始まっていた。

歩きに歩いて、高層ビル群を有する街に出くわすなんてあり得なかった、
そんなのあんまりだ、と。

世界の涯から抜け出して最初にみるのは、
一本道にぽつりとした灯りで その在処をしめしている
古ぼけたモーテルであるはずだ。

そこには、ひからびそうな親爺がいるはずだ。

そして、その親爺は、

”この道を人が通るということがどういうことか”
を知っているはずだ。

決して会えない元住人との話にも花を咲かせることができるはずだ。
僕自身が知りようもない、僕の属する連鎖、仕組み、物語も、

彼ならきっとわかっているはずだ。

僕ははじめて、その時、安堵するのだ。


自分で全ての物語を作らなくてもよい、ということに。
なにかに、属している、それがなんだか分からないかもしれないけれど、
それを知り得る誰かを認識することで、

・・・

ふと

テーブルの上には

カブトムシの死骸がカサカサと風に吹かれていた。
それは
清潔な、洗いたての、純白の白いシーツの上に転がっていた。

自分の役割についての考察はひとまず置いておいて、


今自分に必要なのは健全な睡眠だと気付いた僕はそのなかに潜りこんだ。

どんな夢も上手に見れる気がしていた。

・・・

だけれど、それはなかなかに難しかった。

ここ この世の涯には夜がやってこなかったのだ。

ここに時計もなければ日の移ろいもなかった。

あるのはただ、夜はきてくれないという勝手な確信だけだった。

だけど、その確信は、僕から軽々と安眠を奪い去るに充分だった。


・・・

ベッドで寝転がると、ちょうど出窓が空いていて、
低いなりに広大な空が 見える。

僕は今自分がなにが欲しいかと問われたら
鳥が優雅に飛んでいる風景、だ、と気付いた時、
不意に心地よい眠りの誘い がやってきたことに気付いた。

未来も過去も関係なしに。

上手に夢がみれるだろうか。

夢はいい。

未来も過去も、今も関係なしに。 物語が広がるのだから。

上手に夢がみれるだろうか。



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