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2008.03.04

世界の涯、僕の名前、物語のはじまり。


そこはこの世の涯だった。


僕はその時、この世の涯にいた。


圧倒的に広がる水平線。
空を低くする蓋のような厚い雲の水平な壁。

乾いた大気に轟き渡る稲光。
発光するグリーンの空。


この圧迫された垂直に対する、圧倒する永遠の水平、

この縦横比を

世界の涯、と呼ばずになんと呼べばいいのか。
世界の涯、その証明はこの景色で充分だった。



・・・


そこには小屋が一軒ぽつんと忘れられたかのように建っていた。
きっと、羊飼いの小屋の典型、なんてものがあるのならば、
この建物はズバリだろう。

軒先に

長靴が干してある。
幾分小さめのものと
異様に大きめのものと。



白いストライプ柄でネイビーのそれは。


昔あった平和の象徴のようだった。


きっと元の住人はカップルだ。

きっと静かで幸せな日々がここにあったのだ。
その証拠に、
いくら時間が過ぎようと、
なんの違和感もなく、
誰でも、
心穏やかな生活が 昨日の続きのように スタートできる、
この小屋の佇まい。

心地よい温もりを讃えた静謐がそこにはあり
優雅さにはかけるとはいえ、数少ないが十分な光の束が。
日常のありふれた言葉たちと、
食物を口に運ぶだけで口の役割が済んでしまう。

そんな調和を制御しているような この小屋の佇まい、が。
なにも語らぬ語り部として僕にその生活を教えてくれていた。

ただ、彼らはそこにはいなかった。
僕は待つつもりはなかった。
きっと、彼ら、なにか、すでにはじまっているのだ。





元住人の行方。



やりかけのチェスと。
くり返したソリティアの残骸だけが、
なにかの終わりと始まりを物語っていた。



・・・

僕には記憶がなかった。
というより 物語れる過去の一切を忘れてきてしまっていた。

それならば、いっそ。 いつの時代でも、2、3の歌い手が歌うように、
過去を勝手につくっちまえばいい。

自由に書き換えるんだ。

だけれど、次の瞬間、僕は筆をうっちゃっていた。

なんといっても、自分の名前を決める、
というドラクエという一時期はやったTVgameでいうの最初の関門で
難渋してしまうのだ。

それは確実に、親の仕事の領域だったし、
それはたまに、祖父の楽しみの一部でもあったからだ。

自由に名前を決め、それを語るということは
「誰もみていないから服なんて着なくていいよ」
と言われるくらい居心地の悪い自由でもあった。

・・・

僕は小屋を動き回り、かつてここにあっただろう生活の残滓から、
それらをなぞりながら、自分の過去を描いてみることにした。

驚くことに、すらすらと過去は紡がれていった。
それも、何通りも。

そのどれも、リアルだった。
飲んだバーボンの味。
降った雨の冷たさ。
変る信号に急ぐどたばたから。
愛した女性の顔、肢体。

どれも、この小屋の静謐がスタートだった。
しかし、いつでも、この小屋というキャンバスなんて
まるでなかったように 筆は生命を得たかのように独自の曲線を描き続けた。
五線譜なんておかまいなしに。

きっと、オリジナリティとはこんなもんなんだろう。
妙に得心した面持ちだった。

・・・

そのうち、焦点が元住人にあてられると、
彼らの未来、すでに行われたに 違いないが、未来を想像するようになっていた。

それは、この世界の涯を始点にした、僕の未来の物語と同じだった。
ところが、 未来を想像するということは、
かえって、 現実に戻されるという意外な背反する性格を持っていた。
未来に対する勝手な希望的観測ってのは、
誰だって日常的に行うことだからだ。
そして、経験上、
甘い分、痛いしっぺがえしがくるもんだとみんな学んでいるものだからだ。

過去はその場面から勝手に物語をスタートできる。

未来は起点を現在におかなければスタートできない。
すくなくとも未来には現在というアリバイが必要だ。


僕は未来を作り始めた。

時は動き始めた。



・・・

その未来の物語、僕のはじまりは、
この世界の涯のこの小屋から出て行くことから始まっていた。

歩きに歩いて、高層ビル群を有する街に出くわすなんてあり得なかった、
そんなのあんまりだ、と。

世界の涯から抜け出して最初にみるのは、
一本道にぽつりとした灯りで その在処をしめしている
古ぼけたモーテルであるはずだ。

そこには、ひからびそうな親爺がいるはずだ。

そして、その親爺は、

”この道を人が通るということがどういうことか”
を知っているはずだ。

決して会えない元住人との話にも花を咲かせることができるはずだ。
僕自身が知りようもない、僕の属する連鎖、仕組み、物語も、

彼ならきっとわかっているはずだ。

僕ははじめて、その時、安堵するのだ。


自分で全ての物語を作らなくてもよい、ということに。
なにかに、属している、それがなんだか分からないかもしれないけれど、
それを知り得る誰かを認識することで、

・・・

ふと

テーブルの上には

カブトムシの死骸がカサカサと風に吹かれていた。
それは
清潔な、洗いたての、純白の白いシーツの上に転がっていた。

自分の役割についての考察はひとまず置いておいて、


今自分に必要なのは健全な睡眠だと気付いた僕はそのなかに潜りこんだ。

どんな夢も上手に見れる気がしていた。

・・・

だけれど、それはなかなかに難しかった。

ここ この世の涯には夜がやってこなかったのだ。

ここに時計もなければ日の移ろいもなかった。

あるのはただ、夜はきてくれないという勝手な確信だけだった。

だけど、その確信は、僕から軽々と安眠を奪い去るに充分だった。


・・・

ベッドで寝転がると、ちょうど出窓が空いていて、
低いなりに広大な空が 見える。

僕は今自分がなにが欲しいかと問われたら
鳥が優雅に飛んでいる風景、だ、と気付いた時、
不意に心地よい眠りの誘い がやってきたことに気付いた。

未来も過去も関係なしに。

上手に夢がみれるだろうか。

夢はいい。

未来も過去も、今も関係なしに。 物語が広がるのだから。

上手に夢がみれるだろうか。



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