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2008.04.26

喜劇の悲劇



頭はとうに禿げ上がり
重力と結託した肢体をゆさぶり



膝はすれ上がり、肘はてかてかに艶がでつつある一張羅は
まるでずた袋のように彼を包んでいるようだった。



華麗な貴婦人の隣よりは確実に部屋の隅にある
ひかえめで薄汚い緑色の椅子のほうがしっくりきた。





彼はちょっとした喜劇役者だ。





みすぼらしいなりと
完璧に低俗をあしらった笑顔を武器に




40年!

喜劇を演じ続けていた。




40年!




その間に、
頭髪も、申し合わせたように、その劇の舞台から退場し
芸の年輪のように脂肪が幅をきかせていたのだ。



ちょっと派手な芸をすると
額と口の下に汗がにじみ



需要と供給のバランスがくずれた呼吸器系が黄色い色のついたような
息を、聞くに堪えないようなあえぎといっしょに、吐き出す。



さらにおぞましいことに



満腹なわけでもないのに口からはゲップがもれる。




「それはねえ、君。
 人様に食事をするところを、食物を咀嚼するところを見られるってのは
 あれだ、
 夜のスケベな行為を見られるくらい
 あれだ、
 破廉恥なことだって言うだろう?
 ゲップはその破廉恥に破廉恥のソースをさらにかけてるような
 もんさ。 
 そこまでさらけだしちゃうとね、観客も
 あれだ、
 観念しちまうんだよ。」



・・・


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2008.04.05

世界の終わりからはじまる物語


  「たしかに、あなたの作品の中には、まさに異常な率直さがある」
   彼女は言った。
  「あなたの生い立ちになにか変った事件があったのか、
   受けた教育に由来するのかはわからないけど、
   こんな人間が同世代にふたりと生まれることはないでしょう。

   たしかに、あなたが人々を必要とする以上に、
   人々はあなたを必要としている。
   少なくとも、私の世代の人間には必要だわ。
   でも数年後には、状況も変ってくる。

   あなたも私の働いている雑誌を知っているでしょう。

   私たちが創りだそうとしているものは、
   まがいものの、薄っぺらな人間なの。
   それはもはや真面目ににも、
   ユーモラスにもなれない人間、
   やけくそになって
   死ぬまで娯楽やセックスを求める人間よ。
   一生キッズでありつづける世代。
   私たちはそういう人間をきっと創りあげるでしょう。
   そしてその世界には、
   もはやあなたの居場所はない。」

       『ある島の可能性』ミシェル・ウエルベック著



立て続けに

世界の終わりからはじまる物語を読んだ。

しかし、
もはや、僕らには世界の終わりを起点とした物語なんて
はじめられないのではないだろうか。

僕らは簡単に10年なんて年月を浪費できる。
時間と僕らとの軋轢からできたサミシさを
僕らはちゃんと味わえているのだろうか。

時の震えもなくしてしまうような、
時の流れている証明である音も光も見失ってしまうような
そんなキスができているのだろうか。

生涯で心臓が脈打つ数は決まっている。
生涯で感じる事のできる刺激の量もきまっている。

僕らはそれを生涯で使い切れているのだろうか。

太陽の光にあたり皮膚を焦がすように
月の光に照らされて心の表面を焦がすことがあるだろうか。

最近

自分の感覚を頼りにしたことがあるだろうか。

理屈があてにならい、と気付いた時、半ば神頼みのように感覚を頼るような
消極的なものではなく、積極的に頼りにしたことがあるだろうか。


満月の晩。
湖岸を蓮の葉であしらったあの湖で
Big fishが湖面の月を仕留めようと豪快なジャンプをする。

他に動くものは湖面の月以外なにもなかった。

その湖は海よりも広かった。

あなたの欠落という物語を見せて下さい。

きっとやさしく愛撫してあげよう。

絶対に合わない符牒のような
わたしの欠如という物語をあなたの欠落の穴に嵌めてあげよう。



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