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2008.04.26

喜劇の悲劇



頭はとうに禿げ上がり
重力と結託した肢体をゆさぶり



膝はすれ上がり、肘はてかてかに艶がでつつある一張羅は
まるでずた袋のように彼を包んでいるようだった。



華麗な貴婦人の隣よりは確実に部屋の隅にある
ひかえめで薄汚い緑色の椅子のほうがしっくりきた。





彼はちょっとした喜劇役者だ。





みすぼらしいなりと
完璧に低俗をあしらった笑顔を武器に




40年!

喜劇を演じ続けていた。




40年!




その間に、
頭髪も、申し合わせたように、その劇の舞台から退場し
芸の年輪のように脂肪が幅をきかせていたのだ。



ちょっと派手な芸をすると
額と口の下に汗がにじみ



需要と供給のバランスがくずれた呼吸器系が黄色い色のついたような
息を、聞くに堪えないようなあえぎといっしょに、吐き出す。



さらにおぞましいことに



満腹なわけでもないのに口からはゲップがもれる。




「それはねえ、君。
 人様に食事をするところを、食物を咀嚼するところを見られるってのは
 あれだ、
 夜のスケベな行為を見られるくらい
 あれだ、
 破廉恥なことだって言うだろう?
 ゲップはその破廉恥に破廉恥のソースをさらにかけてるような
 もんさ。 
 そこまでさらけだしちゃうとね、観客も
 あれだ、
 観念しちまうんだよ。」



・・・


彼は社交の場が苦手になっていた。



特にこんなふうに各界の著名人が集まるディナーパーティってやつが。



昔からそうだった。



タキシードってやつと、大笑いってやつは



相性が悪いんだ。



おれとあのパトリシアっていうあばずれと同じだ。



あのとんまときたら、最近流行のアートなんてのにえらくご執心で、
こう言いやがった。




「本物のアートは
 何百年のそれこそ代から代を経て行きのこる
 偉大なものなのよ、
 それに比べてあんたのいう本物の喜劇ってやつはその場限りの使い捨てで
 私だって
 あんたよりうまく人を笑わせることができるわ!」




けっ、笑わせるんじゃねえ!。。。
(ふっ、笑っちまったけどよ。。)




ふむ、だが、たしかに、こんなところにぼっちゃんみたいにめかしこんで
大仰にアートの話をするような輩に喜劇を解するセンスがあるとも思えねえ
のも事実だ。



さっきも、思い出すだけでぞっとするが、
いつもおれの芝居を楽しみにしているとにじり寄ってきたあのばばあ、
こっちが振り向いた時のあの表情。



軽蔑と哀れみの入り交じったあの笑いとはかけ離れた表情はなんだ!




・・・




彼は喜劇に思うものがあった。



それは彼がこの道に足を踏み入れるきっかけになっているものや、
後付けで、気付いたものもある。
誰かから笑顔や拍手が作り上げてくれたものもあった。



彼は舞台の上で被る
笑顔という仮面の質にこだわった。



その仮面を作り上げるのに



時に鉄を打つような激しさで
時に刃物を研ぐような繊細かつ正確さで
時に一切の妥協を排した真摯さで



そんな水面下の鬼気迫る努力で作り上げた



仮面を被り、彼は舞台にたっていた。



仮面の下でどんな顔をしていようと、
彼は劇場を所狭しと動き回り、叫び、笑いを要求した。



娘が命を落とした時だって、あの強い雨の夜だって。



彼は笑顔の仮面を被り続けていた。
涙で化粧がはげるなんてことはなかった。
はげるのはそう、役割的には頭髪でよかったのだから。




・・・




彼は勘違いをしていた。



昔から社交界が嫌いだったなんて。



こんな場に招待されるなんてここ数年の話。
昔は嫌いになるにしても相手にされることもなかった。
だから、その感情は、単なる彼の一方的な羨望でしかなかったわけだ。



それに、その昔、彼は稽古と舞台でそれどころではなかった。



最近ようやく認知され、身体に堪えるものだから公演の本数を減らした。
双方の変化の自然ななりゆきで、今日も彼はここにいるのだ。




・・・




彼はうすうす感づいていた。



パーティという場はやりずらい、ということを。
ここでは、うけがあまり良くないのだ。



だが、彼はそれをまだ、相手のせいにしていた。
不思議なことだが、100%相手のせいにしていたのだ。
まったくの純粋な素直さをもって相手のせいにしたのだった。



ここが彼の通う劇場だったら、そんなふうに彼が思うことは一度も
なかっただろう。



彼はそれを研鑽のネタとして相手に感謝さえしただろう。



いつのまにか彼は自分の喜劇を「見に来てもらう」ことになれてしまって
いたのだろうか?



劇場という喜劇を望む人以外にはどうせ軽蔑されるだけだと、
誇りをかざしながらもどこかに劣等感があったのだろうか?



が、ともかく、彼はそれをまだ、相手のせいにしていた。




・・・




と、彼が一息いれるために、
こともあろうか、あの緑の椅子に腰掛けた時、



パーティの主催者である公爵夫人が彼に挨拶にやってきた。



彼女はアートと喜劇という源を異なるするそんな人間というものを
そんな創造を介することのでき、なおかつ美貌の人であった。



「今日はよく、いらっしゃいまして。
 ようやく観念なさったのね、幾度もしつこくお誘いして申し訳ありません。
 でも、是非、あなたの喜劇の素晴らしさを皆様に知ってもらいたくて。」



と、彼が振り向いたとき、



彼女の顔がなんとも言えない曇り方をしたのを彼は見逃さなかった。



彼女は覗いてしまったのだ。



彼の楽屋裏を。
彼のくるしい苦労の跡を。



長年仮面に合わせてきた彼の目尻には笑顔用の皺が
それこそ、手相の生命線よりも、深く刻まれていた。



無理にあげていた口元にも同様に皺が消えないでいた。



年老いた身体、
こっけいな風体、
そして、顔中に刻まれた皺。




彼の素顔。



喜劇役者ではない、無表情を。



あまりにも疲れて醜く、無防備な中年の男の素顔を。



彼女はとっさに悟った。
そして、感動すらした。



ただ、それが彼に伝わることはなかったのだ。



なぜなら、感動の後にきたのは彼が望んだものではなく、
深い尊敬と憐憫だったからだ。



そして、それと同時かやや遅れて、彼が笑いの仮面を完璧に付けると
彼女は自分のそれを被ることはできなくなっていた。



彼女はプロではないのだ。



その仮面が完璧であればあるほど、さっきの表情とのコントラストが明確
になる。



一見用途がわからなかった皺のそれぞれは
彼が笑顔を作った瞬間にそれぞれが持ち場にもどり
グロテスクなまでの正確さで仮面を作りあげたのだ。 



もちろんその場は一種違和感で包まれていた。




・・・




実は彼は今日という日を楽しみにしていた。



主催者の評判はきいているし、
一度遠くから見たことがあった。



とても可憐で
あの自分とは世界が違う、ただ、見ているだけで満たされる
そんな美しさを備えた女性だということ。



そんな相手から認められたのだ!



そんな女性が自分によこした目。



彼は瞬時に否定されたのだと思った。



恥辱、動揺、



必死で抑え、彼は仮面を被った。



ただ、もう、その場では



40年付けてきた仮面は、彼の顔に合わなくなっていたのだ。

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