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2008.06.04

恍惚の海



僕は



彼女の描く海が大好きだ。




そのタッチはだいたいが雄々しく
すべてを飲み込んでしまいそうな



自然の猛威だ。



その激しさは



棘で刺すなんてものじゃない。



瀑布。



点でも線でもなく



面。



通ったあとには生の痕跡を根こそぎ奪って行くような。



しかし、その色合いに



慈愛に満ちた生が宿っているのが


いつも僕の胸を打つのだ。

・・・






彼女は生まれてこのかた海を見た事がない。



僕らの住むこの街は



産業の80%を牧畜でまかなっている山間の避暑地だ。




彼女の両親がここへ越してきたのは



毎日



空に雲がとぐろまくような、異常な年だった。



その翌年。



うって変って晴天続きのそんな年に



彼女は



避暑にはうってつけの8月の昼下がりに産声をあげた。



・・・



彼女のおやじさんは



両足を不自由にしていた。



「片輪どころか、両方いかれちまってね。
 この街は車椅子に適しているとも思えないがね。
 気候がいいんだよ。
 気候が合わないとね、
 寝ても覚めても、もう、いけないよ。
 生きて行くのがおっくうになっちまう。
 不自由と不愉快だったら。
 だんぜん
 不自由のほうが、いいんだよ。」



日焼けした岩のような顔。
そんな岩を集めて笑顔を作りながら。
避暑地の風に銀髪をなびかせて。



車椅子のダンディーは僕に言ったものだ。



・・・



ダンディーは

漁師だった。



彼の船は

通常5人のチームで漁にでる。



左舷と右舷の漕ぎ手と

長さ3メートルにもなる銛を持つキャプテンを先頭に。

天気を測る者と
海の具合を測る者が舵をとる。




彼の船はその港町で随一の船だったらしい。
(実際に僕がその街に寄った時に仕入れた話だから間違えない)



左舷と右舷の男は


酒樽のような屈強さで。

トップスピードに入るのは誰にも負けない。
一斉に港を出ても、格好の漁場にでるのに
彼らよりはやく到着することは

この10年来なかったらしい。



しかし、いわゆる海の男の荒々しさはなく、
きまって静かに大量の酒を飲んでいた。

それは、奥底にマグマをもつ、灼熱の熱いものをもつ
大火山のようだったらしい。



天の者と海の者は

全く正反対だった。



天の者は

いつでも口笛を吹き、
その両手は銛やオールなんて野暮なものを持つためのものじゃなく
きれいな麗しい女性を抱く為にあると常々言っていた。



確かに、その掌はほっそりとしていて、はっとするような優雅な
所作を心得ていた。

その口笛も


セイレーンも歌うのをやめて聞き惚れるのかと思うほどに
軽やかだった。




海の者は

隠遁者よろしく、いつも身なりは汚らしく。
ぼそぼそとうわごとに近いなにかをつぶやいていた。



あまりに汚いために、人の記憶に残るのは
その血走った目だけだった。



しかし、あるとき

「地震がくる、しかも直情ですごいやつだ」

と酒場でもらした次の日に、とてつもないのがきたことがあったそうな。

町人はいつもと違う

まるで地球の教えを伝える伝道師のような威厳のある物言いを
信頼して

皆避難をしていてけが人すら一人もいなかったそうな。



・・・



ダンディーはそいつらを束ねるキャプテンだった。

このチームはダンディーが今まで色んな漁場で見つけてきた
チームだった。



彼は色々な漁場で、ありとあらゆる漁法、泳法を習得していた。



そして、このチームを組んだのだ。



最後に彼らが選んだのは



その巨大な銛を使う漁法だった。

それぞれが己のすべてを海にぶつけられる
その完成度がスケール感が

決め手だった。



全クルーがそれぞの役割の中でそれぞれが快感をエクスタシーを
感じられる。

獲物をものにした時の恍惚を味わう事ができる。


そう



彼らの共通点は海が好きだったという単純なものだったのだ。



・・・



「あの年は全てが異常だった。
 おれらの知っている海はこの世から地球上から
 無くなってしまったのではないか、
 そう思えるようなそんな年だった。」



ダンディーは僕に話してくれた。



「その変化は、そうさな、ここでいうなら
 牧草はすべて黄色に枯れ、
 牛のお乳が紫色に腐臭を発して乳から出てくる
 そんな感じだった。」



海という海から魚たちは姿を消した。
波も気持ち悪いくらいに穏やかで
海から覇気がなくなってしまったようだった。



街では、どこかの家からなにかが無くなっただとか
不穏な噂が流れるように
皆がいつでもストレスのはけ口を探しているよう見えた。



それは無理もなかった。



漁場で1ヶ月も魚がとれていないのだ。





ダンディーは毎日天の者と海の者のところにいっては
漁にいけるタイミングかどうかを聞いて回ったが
かれらはそろって横に首をふるだけだった。



・・・



そんなことがまた数日くり返されたある朝。



ダンディーのところに同時に2人がやってきた。



空と海に変化があった証拠だ。

ただ、2人とも狼狽している。

いつもは2人とも

空と海に伺いをたてている、つまりはこちらから教えて欲しい、と
コンタクトをとっているのに

今日に限っては、逆にその声に文字通り叩き起こされたのだと言う。



2人とも



怯えていた。



「確かに、おれらには御せないなにか変化があったことは確かだ。
 だが、それの吉凶まではわからん。
 申し訳ないが、”なにかがある”という無責任なことしか言えん。
 あとはあんたの判断次第だ。」



そこになにか感じとったのだろうか?



右舷と左舷も姿をあらわした。



両手にはオリハルコンかと見間違うよな光り輝く銛を持っていた。
漁にでれない間に作り上げてきた逸品だった。



「嫁さんの前でこんなこといったらまずいがよ」



ダンディーは言った。



「誰とは知らねえ魅惑の女に挑発されたら、答えはひとつ」



「逃げ出せなんて、教訓でもなんでもないだろ?
 いくぞ」



・・・



船足は軽快だった。



導かれるようだった。



天も海も



「このままだ」と船を促した。



薄気味悪いくらい穏やかで、まるで黄泉の河を渡っているみたいな
感覚にとらわれた。



まず異変に気付いたのは天だった。



「鳥が逃げてゆく。
 それも鳥の王が率先して。
 こんなことははじめてだ。」



間髪いれず海が叫ぶ。

「海の奥からなにかがくる。
 こんな海の奥を拝ませてくれるやつははじめてだ。
 おれははじめて海の深さを実感している。
 闇だ!」



ダンディーはにやっと笑う。



「おい、それってはじめて女を知ったときと似たような気分かい?」



「へへ、違いねえ。」



と海が返す。



「左舷、右舷!
 エサたのむぞ。
 今日は奮発して銛が4本。全部たたきこんでやる。」



「天よ、首尾よくこなして、鳥の王に頭あがらねえようにしちまうぞ!」



・・・



ダンディーはぽつりぽつりと続ける。



「やつは、ぬらっと現れた。
 黄金の弾丸みたいだった。
 よりによってヤツは船と並走して挑発してきた。
 それはオレが銛を放つ一番得意な角度だった。
 すべてを知られていて挑発されている気分だった。



 銛は最高の出来だった。
 オレは船を飛び出していた。
 ヤツに銛を突き立てていた。



 感触は分厚い鉄に銛を突き立てたようだった。
 生き物のそれじゃあなかった。
 たしかに数センチはめり込んだが、自慢の銛はひしゃげていた。



 オレは海に放り出され



 ヤツと視線を交わした。



 すぐに左舷に拾われて、再び銛を放つ体勢を整えていた。

 いつもは、銛が放ちやすい角度を獲物に対して左舷右舷が
 微調してくれるのだが



 今日は必要がないことが左舷右舷にもわかっていた。

 

 雑な仕事では仕留め切れない。
 同じ場所に4回だ。



 船から銛を放つのでは無理だ。
 わずかなヤツの身のよじりに対応できないからだ。



 空中まで銛と一緒に飛んで、最後の最後まで軌道を確保しなくては。
 そして渾身の力をこめなくては。
 自分の体重もすべてこめなくては。」



ダンディーは言う。
この張りつめたテンションは皆に感染するのだという。



そして不思議なことに、そんな時皆が思う事が



海の美しさなのだという。



・・・



「結局4本とも寸分たがわぬ箇所に突き刺してやったよ。」



「それでも、ヤツは絶命まではしていなかった。
 ただ、変な話だが、
 その後のヤツの表情はなんていうか
 神々しかった。
 魚に表情なんかない、って思うだろう?
 表情っていうか
 緊張っていうかテンションはあるんだ。
 そいつの歴史も深さを与えたり、な。」



その後、ヤツを船に縛り付け、港を目指した。
皆、疲労困憊だった。



しかし、海が泥沼になったように船が動かなくなった。

海の者が悲鳴をあげる。



「またなにかがくるぞ。
 狙いはそいつの息の根みたいだな。
 そいつが弱るのをまってたかのようだ。」



その最後の瞬間、良く覚えていないが、天の者が口笛を吹いた。
その音色が響き終わらないうちに



闇からおれらを飲み込んでしまうくらい大きな吸盤をもった
足が10本の柱のように船を取り囲み、

あっと言う間に海の藻くずと化していた。



気付いたら、船は無くなっていた。
自分一人だった。
身体の感覚はこれっぽっちもなかった。



ほうぼうから鳥が集まってきていた。



天の口笛に呼ばれてきたのだった。



・・・



遠くからみるとそれは





鳥でできた柱のようだった。





おれらが船を急いで出したのを見て、鼻のきくいく艘かの船が
追いかけてきていて



鳥柱をみて、かけつけてくれたのだ。



そしてオレだけ陸にあがれたってわけさ。



そして、逆にオレのほうが鳥の王に頭があがらなくなっちまった。



・・・



彼女はこんな冒険譚を子守唄代わりに聞いていた。



海は彼女の根っ子であり、不可分な存在だった。



命の源であり
命の脅威だった。



つまり、世界だった。



彼女はダンディーの話っぷりから



それが街に細々と流れる河の同類なんかじゃないことを
分かっていた。



ダンディーははじめて彼女の書いた海を見たとき
自分の脳みそをそのままみられてしまったような衝撃を受けた。





そこには風景としての海ではなく、自然の一部である海ではなく

彼に恍惚を与えてくれる存在としての海そのものがあったのだ。



・・・



僕は



彼女の描く海が大好きだ。



彼女は海をみたことはない。



それは風景画ではない。



それは海に一度でも恍惚を味わったものならこぞってうなる
そんな
現象だった。



一枚も似通ったものがない、筆使いだがそれぞれが
僕らに及ぼす快感を持っていた。



僕は彼女の絵ほど



海の深さと生命を表現したものを知らない。



・・・



ある良く晴れた昼下がり。

外の明るさと灯りを付けていない室内のコントラストが最高潮のその日。





僕は食料をもって彼女の家にいった。



離れのアトリエには



制作途中の横10m縦4、5mの大作が置いてあった。



その絵の前に



小刻みに震える車椅子姿のシルエットがあった。







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