ゼンマイ美女と黄金の狐
自分の家ではない自分の家で
友達であるはずのない友達たちと
春画を集めていた。
気付くと押し入れに入り自慰に耽る輩がではじめ
くごもった臭いを発し始める。
それがエスカレートしはじめ、自分の母親であるはずのない母親が
「そんなことやっているとこの世から抹殺されるからね!」
と子供を脅すにはいささか度が過ぎた怒り方をする。
と、
急にテレビのチャンネルを変えたように、
音が消える。
色も消える。
いや、厳密には色は消えていない。
なんとも不吉なセピア色だ。
と、
友達であろうはずのない友達が自慰の残骸を残して
一人残らず消える。
抹殺される。
と、
母の気配も消えている。
言った本人にも有効な警句だったのだろうか。
しかも、それに決して動揺すら覚えない僕がいる。
動揺の仕方と動揺の理由を
完全に忘れてしまったかのように。
そしてはじめて、自分の家ではない家を見てまわる。
柱の木目も見えないくらいもともと薄暗く、色がない。
僕がいた部屋からはどの部屋も見えない。
なんだか薄気味悪い、薄い切れ端がかかっているからだ。
人気がないのに、すえた人家の臭い。
他人には決して嗅がれたくないこびりついた臭い。
と、
またチャンネルが変ったように、どこかで音が聞こえる。
それも家には似つかわしくない音。。
4、5人程度ではない。
もっと、もっと、大人数で出す音。
部屋をでると、玄関の外にはまばゆい光が。
でも、日射しが強すぎてなんの輪郭も見えたりしない。
声のありかは外ではないあろうことか、家の中だ。
上だ。
すると、唐突に階段がそこにある。
たった今出現したように、そこにあり、その上には場末の酒場が
あり、ごったがえしている。
これはうるさいはずだ。
一番手前の席では知的なモデルといった風情の美女が佇み、
こちらを見やる。
と、首をきっかり60°傾けた時にゼンマイが切れたように
ジジジッ
と止まる。
美女には不釣り合いの角度だ。
それどころか、目の焦点は僕なんか見透かし、土星に合っているように
遥かを見ている。
それは決してロマンチックではなく、寒々しい絵だった。
と、本当に彼女はやや抽象的になり、額縁に収まった絵画となった。
それはやっぱり寒々しい絵画だった。
そこへ子供がふたり駆け寄ってきて、
「おっさん、トイレどこ?」と生意気が職業といわんばかりに
生真面目なほどの生意気さで聞いてくる。
僕は、なんにも考えず
「それなら、あっちさ」と指をさす。
そして、こう付け加える。
「でも、今はそのトイレにいかないほうがいい、危険だから」
と、もちろん僕自身トイレのありかなんて知る訳もない。
でも、訳はなくとも、それはそこにあるのだ。
そして、危険なのだ。
「わかった、じゃあな、おっさん!」と駆け去って行く二人。
その走り去った方向からすぐに悲鳴が聞こえる。
が、すぐに喧噪が勝ってしまう。
ああ、思い出した、危険じゃないトイレはこっちのトイレだ。
僕は尿意もないまま安全なトイレに駆け込む。
するとそこには
兄ではない兄がいた。
「おい、遊んでやるよ、ついてきな」とトイレを出る兄。
続いてトイレをでると、そそは一面すすきの原っぱだった。
緩やかな下りのスロープになっていて、僕らは転がるんじゃないかっていう
スピードで駆け下りる。
気付いたら、お互い片手にすすきを持ちながら。
ふと
「ああ、兄貴は死んでしまう。」
なんの前触れもなくそう頭の中に浮かぶ。
突如民族衣装に身を固めたインディオみたいな集団が兄に槍を投げつけた。
その1つが命中し、
兄貴はすすきよりもっと黄色い、いや、黄金の血を噴き出し絶命する。
その血の海から
黄金の狐が姿をあらわす。
狐はありえないほど綺麗な踊りを見せてくれた。
ふと気付くと、兄貴の亡がらは
木の切り株になっていて。
カラフルでデザインも申し分ないキノコが生えていた。
どこからともなく梵鐘が鳴る。
うまくは形容できなけれど、
その度に狐はきれいになってゆき、
その度に狐はちいちゃくなっていった。
そして、その度に確実に温度が下がった。
狐は綺麗だった。
官能を有に越えた美しさだった。
なにをどう刺激したらこんなに美しいと思うんだろうと。
震えながら気付くと
53回目の鐘が鳴り終わると同時に狐は小さくなりすぎて
そこからいなくなってしまった。
後に残ったのは53回分寒くなった大気と
かさかさの黄色をしたすすきと
行く道も
返す道も
見失った僕が残るだけだった。
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