« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008.09.26

旅といえば。。





旅というとね。
どんな風景を思い浮かべる?

ぼくはね、
トンネルなんだ。
列車が通るんだ。

夏なのにね、ひんやりしてるんだ。

湿気がすごいくせにね。
ひんやりしてるんだ。

羊歯とか苔とかがぴったりでさ。
きっと標高が高いんだ。
なのにまだ、穏やかな真っ暗なスロープを列車は登り続けているんだ。

その列車はね。
なんだろな、
いかにも「機械」って具合さ。
シャープじゃないんだ、ごっつくて、石炭で走ってるっていわれても
一瞬信じてしまいそうなやつさ。

もちろん、ぜいぜいと登る喘ぎのようなきしみも、
もちろん、重力と闘ってるんだとばかりに大袈裟な駆動の音も
堂に入ったもんさ。

扇風機しかないんだ。
扇風機の中央にはね、ロケットみないな突起があってね、
その列車の歩み同様、スムースってわけにわいかないんだ、首の振り方は。
同じところで一瞬とまるし、がたがたいって、毎周微妙な違う音を
ぜいぜいたてながら動いてるんだ。

列車はね、外見は、下がオレンジで上がクリーム色。
所謂登山列車そのものってくらい定番で。
ライトはまん丸さ。

塗装がすっごく分厚くて、ところどころ剥げているところは
そうだね、
ホーロー鍋が剥げたみたいにぼろっととれちゃってるの。

トンネルはどこまでも続くようにね、ずっと暗闇を連れてきてくれるんだ。
そういえば、いつトンネルに入ったのか忘れてしまうほどさ。

登山列車にはあまり似合わないけど、
プラスチック製のお茶が売っているといいね、
四角いプラの容器にティバッグをいれるやつ、コップが口の部分に
備え付けてあって。
漫画の「美味しんぼ」ではプラスチックがとけちゃって味が台無しって
言われてたあいつさ。

釜飯なんかより旅情があるのさ。
とうにね、お弁当とかは食べ終わっちゃって、もう、ビールでもないんだ。
風景もなくてさ。
外は真っ暗で。
手持ち無沙汰ってやつさ。
なーんか本って気分でもなくって。
車内広告とかも、数ヶ月先のその土地のお祭りの広告とかで
完全に他人事なわけ。

なーんもやることがないってことに気づいたときさ。
目も耳も鼻も口も頭も特に必要のないあのトンネルの中さ。
道中さ。
そんな時なんだよね。
僕が旅って感じるのってさ。





| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.09.12

カーニバル





広場ではカーニバルの真っ最中。

となりのマンションの窓からは
ヨカナーンの首の実証見聞がオコナワレテイルノガミエル。
そう、カーニバルの最中ほど淫猥な儀式が似合うときなんてありはしないのだ。

僕はそのヨカナーンの首を肴にボトル1000円の安ワインを飲む。

貶めてやるのだよ。
切られた首をさらにね。

僕はそのヨカナーンの首なんて無視して電話をかけるんだ。
30分ほどして
僕の母親くらいのくたびれた商売女がやってくる。

本来ならばその首にふさわしい美辞麗句をその女に注いでやりながら
ちちくりあい、その首を指差してわらってやるのだ。

調子にのった、ころあいに、その女を蹴り付けてたたき出すのだ。
そいつの笑い声があまりにも粗卑だったからだ。

僕はだんだんいらだってくるのだ。
その首の生命力にいらだってくるのだ。

気がつくと、そのマンションのその部屋には誰もいなくなり、
窓際におかれた、ヨカナーンはこちらをじっと凝視している。

カーニバルも終わっている。
でもおかしいじゃないか。
お天道様はまだてっぺん。
カーニバルが終わるなんておかしいじゃないか。

自分の部屋なのにドアが開かなくなっている。
ヨカナーンはこちらを見ている。

自分の身体なのに四肢がいうことをきかなくなっている。
ヨカナーンはこちらを見ている。

ヨカナーンの目はうすく濁っている。

それは夏の日であるはずだ。
暑く苦しい夏の日であるはずだ。
切られた首に生命力を感じるのは臭気の似合う夏であるはずだ。
僕を狂わせる夏であるはずだ。

僕は自分で目をつぶす。
その闇の中まであいつは、ヨカナーンは追って来てくれると
僕は信じていた。





| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »