夏の日、蝉の声
蝉がないている。
蝉といえば
僕にとって
一番印象深い蝉と言えば
病院の白い壁でけたたましくなく
あの姿なのだ。
幼きころ
川崎病の疑いがあり
その夏を
お茶の水の病院に母につれられて
通院していたことがある。
行くたびに
みたこともないような
太い注射器でめいっぱい採血された。
母は僕をなだめようと
いつも病院の廊下に設置してある自動販売機で
紙パックのジュースを買ってくれていた。
「Piknik」という森永乳業のシリーズだった。
院内は
夏の日差しの外とは違い薄暗く
膝下の薄明るい緑の院内灯が一番明るく
場末のくたびれた旅館の館内のようなさびれた雰囲気だった。
にもかかわらず、じっとり汗をかくような
すべてが曖昧な世界だった。
母が先生と話している間、僕はジュースを飲んで廊下で
待っているのが常だった。
そんなある日
いつもより
暑かったのか
塩っからいものでも食べたからだろうか
それとも
特別にPiknikがおいしかったからだろうか
僕は買ってもらったジュースを
簡単に飲み干してしまって
時間を持て余した僕の目は
白くまぶしい自動ドアの先を見ていた。
パックをちゃんとゴミ箱に捨て、
僕は自動ドアを抜けて駐車場にいた。
採血された腕のガーゼのなかを気にしながら
あてもなくぶらついていると
僕はけたたましく鳴く蝉を見つけた。
とくにそいつを捕まえようというわけでもなかったのだが
「あとちょっと」という高さに止まっていたあいつは
暇つぶしのかっこうの獲物だった。
だけれど
実際にとろうとすると
背伸びしてもかなりの差があることが判明した。
ジャンプをすると逃げられてしまうから、
背を伸ばし、指をすこしずつ上へ上へと。
そんな捕り物はあっけなく解決した。
通りすがりのどかた風のおっちゃんがすっと横に立ち
蝉はすっぽりとおっちゃんの手のなかに収まった。
けたたましい鳴き声は
彼の手の中でくぐもって、
頭上から目の前にやってきた。
「ほれ、とってやったぞ」
彼は僕の手にその手のなかのものを
端からみると
無理矢理にでもおしつけたかのようにぶっきらぼうに入れこんだ。
僕は急遽そのけたたましい騒音の発生源へとなりかわった。
まるでなりひびく目覚まし時計を場違いにならしているかのような
錯覚を覚えた。
僕は彼の姿が見えなくなるのを待ち
すぐさま蝉を手の中から追い出した。
間をおかず、母が僕を捜して外にでてきた。
僕はすぐに
手をずぼんでふいて
母の手の中に手を滑り込ませたのだ。
夏の日、蝉の声
思い出すのはいつもその日のことだった。
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