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2009.09.23

オークと葦





一面僕より背が高い葦に覆われていてた。


風が吹くたびに

葦は揺れることで風の姿を映し出していた。
その葦から次の葦へ。
その先の葦へ。
風はその足跡をつけ、

その姿がどこまでも続くことによって
一面が遥かまで葦に覆われているという帰結に達する事となる。


そして
風が一緒につれてくる
湿気と、すえた有機的な匂いが
沼の存在を示唆していて
自然というロジックがうむ美という体系を想像させた。


僕は耳を澄ませてじっとしていた。


風のようにたゆやかな葦のセッションではなく
もっと乱暴で局地的なノイズを拾おうとやっきなのだ。
彼女が動くことで葦がその場所を教えてくれる兆しを。


僕は見失っていたのだ。


彼女は唐突に僕の前にあらわれた。


白いワンピースは葦とともに軽やかに揺れていた。
その足はそれこそ葦のようにしっかりと土をつかみ。
その髪は
どちらが先に誘惑したのだろう。
風と戯れていた。


ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話「オークと葦」の
傲慢なオークと軽やかな葦の対比を持ち出すまでもなく

僕は彼女に御しきれない美しさを感じていた。


僕の「思うがまま」なんて
いささか性というスパイスがききすぎな陳腐な代物だけれど
僕は彼女に「思うがまま」にできやしない
と感じていた。


彼女の一番印象的な部位は目だった。


その目は敵愾心とも興味ともとれる強い光を僕に向けていた。


僕は彼女を探るように


彼女の瞳の色を見定めてやろうと半歩彼女に近寄った。


ザザザッ


一斉に葦が警戒音のように騒ぎ立て

彼女はその中に消えた。


僕は見失っていたのだ。


僕らの言う意味ってやつを。


風と彼女が葦にのせ、

僕から凝り固まった僕から

それを奪いさってくれたのだ。




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2009.09.12

手早く欲求を満たす。


とある政治家がこういった


 民主主義は時間がかかる。
 かかるだけならまだましだが、
 かかるだけでなにも変わらない。


与党は芸能界ばりのスキャンダルの答弁に窮することに慣れ
野党はヤジに安定感すら覚える。



世界は政治家ひとりでまわせるわけではないけれど
時勢にのれば、ひとつの軸となることはあり得る。


そんな例をはるかケネディにまで求めなければならない現状を
政治家はいつまで続けていくのだろうか。


アメリカのセックスシンボルとよばれたモンローとのスキャンダルのような
熱い夜をすごせるセクシーはそこにあるのだろうか。




ハリウッド映画



18禁なんかよりも、アニメが原作のものがはやっている。
それは世に問う形に問題がある。
18禁のきわどい表現や性描写が問題なのではない。
視聴者から子供を排除することが問題なのだ。

子供を引率する親と、それを勘定にいれないと
制作費がペイできないのだ。


エロはネットで、ブロードウェイは漫画で。


これは常識なのだ。


市場経済下での基本の基本


費用対効果。


映画でもなんでも
例えば視聴後「すっきりしない」という人がいる。

そうなんだ?
すっきりしたかったんだ?

1800円払って、あなたはすっきりしたかったんだ。
感動したかったんだ。
感動して涙を流したかったわけだ。
しかも、涙するという形は満たされるという実感をもつのにわかりやすいのだ。


最近小説のレビューで、辛口で攻めると書いている人の文章を読んだ。

「そもそもこういうタイプの男は嫌いなんだ」と主人公をけなした
結果、その作品を中身がない駄作と切ってすてていた。

そうか、あなたは物語に感情移入して、あたかも主人公のようになりたかったんだ?


プロジェクトのコンセプトを考える。


「誰が読んでも理解できる、わかりやすさを!」
社長からいつもいわれる。
その度に本を開き旅に出たくなる。
誰ともシェアできない、自分だけが感じ取った登場人物の心のひだに触れたいと思う。



裸の女神は

全てを許すとにじりよる。
欲求をすべてぶちまけていいと言い寄る。
精子だろうが身勝手な欲望だろうがすべて飲み干してあげると
すべてを欲しがる。
僕は夢中でセックスに明け暮れる。
僕は性に縛られていると思っていた。
しかし、それは氷山の一角でしかなかった。


欲望のわかりやすいカッティングエッジでしかなかった。


感覚が五感に限定されているように

欲望もそうであることに気がつく。


純粋に性欲だけが強い人ってどのくらいいるのだろう?

政治家が金と権力で女を買う場合、
彼は性欲を感じているのだろうか?
支配欲などの権力を感じているのではないだろうか?
その場合むしろ、彼は金を払わないと勃起しないのではないだろうか?



僕は

彼女が要求しているものがようやく見えてくる。

性欲なんて陳腐なものじゃないのだ。

もっと根源的なもの。

もっと複雑な欲のかたちを提示しろといっているのだ。



JFKのファックにモンローは権力を感じたのかもしれない。
ケネディはパワーをセックスに変換できるセンスがあったのかもしれない。
しかも、射精という形は満たされるという実感をもつのにわかりやすいのだ。



僕は

自分の欲と女神から逃げ出した。

僕は

いったいなにが欲しいっていうんだろう。




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2009.09.05

いともはかなくこっけいなのさ。


まわれまわれまわれ

くるくるくるくる
ひらひらひらいら

まわれまわれまわれ

きみは

みぎまわりか
ひだりまわりか

そんなことで定義づけられる。

きみは

それが

優雅か
大胆か

そんなことで意義づけられる。

そんなつもりではなかった。
なんて
回転数をさげちゃあいけないぜ。

まわれまわれまわれ

くるくるくるくる
ひらひらひらいら

まわれまわれまわれ

他人の評価なんて主観でみずもの、
でもないんだけどね。

そんなこといってると
きみがかんじてた
「あんなつもり」
ってのも主観でみずもの、だいなしじゃんか。

きみの声を刷り込んだ磁気テープ
きみの声を0/1に叩き割ったオプティカルディスク。

ああ、きみが走っている姿でもなんでもいいんだよ。
最高に相手を愛している時のセックスだってさ。
そんな冷血な客観的なアンパイアに判定してもらってごらんよ。

きみはなにやったってこっけいさ。

じぶんのなかの

最高の歌声だって
最速の疾走だって
最愛の遊戯だって

じぶんのつもりは

いともはかなくこっけいなのさ。

まわれまわれまわれ

くるくるくるくる
ひらひらひらいら

まわれまわれまわれ

息が切れるまで?
相手に打ちのめされるまで?

いんや。

きみの想いが続くまで。
きみのイメージが膨らむかぎり。

まわれまわれ。


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