苦労
「苦労なんて知らないじゃん?」
そう言われて一瞬むかっとする。
それから、ちょっと首をひねり、考える。
思い出す。
今までの色々を。
冷静に思い返すと、いささかそれぞれパンチがない。
さしせまった切迫感ってものを取り払ってしまうと
日常で起きる苦労話なんてのは、
そう、
たいしたものではない。
そもそも「苦労ってのがなんなのか知らない」ということだ。
「苦労」も慣れてしまえば作業になる。
生きているってのはなにかを常に経験することだし、
「苦労とはすなわち〜である」と定義付けたとしても、
生きているうちにそれは再定義が必要になる。
苦労を知っていると思っていると
苦労が想い出話に変容していることに気付かなくなる。
そう考えると
苦労から常に解放されている気分になり、
「苦労を知らない」と突きつけられたモノに対して
自然と笑みで返すことができるようになった。
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