『国会議事堂アートと老人と子供のポルヶ』〜気づいた人からはじめるしかない〜
金の回転を第一目標とした創作には、
なるべく新しい情報というものが必要不可欠であり、
回転のサイクルが速くなればなる程、
情報を収集してパクるだけが”創作”という単語に置き換わり、
もはやそこには真の影響など生まれる余地は全くない。
もし影響された対象の根っこの様な所までたどり着ける余裕があるのな
ら、そこから微妙に枝分かれして元のものとは違ったものが
生まれる可能性も出てくるのだが、
そう気づいた時には人間として一番大切な好奇心など色あせてしまって
いる。。。
という事が今の東京に言えると思うのだ。
大竹伸朗
それは
作り手に問題があるのか
消費者に問題があるのか
作り手と消費者は需要と供給の連鎖であり
ぼくらがうまれた現代はすでにその連鎖の中にある
なので上記の問いは不毛であり
気づいたやつから、そんなのなんかいやだな
と思ったやつから
そいつが作る側にいようと、消費する側にいようと
はじめなくてはかわらないもんなんだ
それはけっしてかっこよくもなく
そんなことに気もとめない人からみたら
頑固でいやな感じかもしれない
それでも、そんないやな思いという対価を支払っても
変えたいとか実現したい
とか思うことそれが青臭く言えば夢だったりするのだと
思う。
そんなものに気づき、もちろん自分の気づきと
気になるあの人の気づきも、育てていけるとこに
ここが なれ ば よい
と思うのです。
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