2010.08.18

イルミネーション







都市近郊の工場の食堂から

窓の外をながめる。

どんよりとした曇り空だ。



窓の縁には電線がちらりと
パーティの後の使い道のない飾りのように垂れ下がり

ガラスは埃と、ぞうきんがけの後の拭きムラで
その先の風景を廃墟のように映し出す。



不意に従業員用のカップラーメンの自動販売機が



ゴウン



と音を立てる。



遠くの駅を新幹線が通り過ぎる。

新幹線はその駅にはとまらなかったはずなのに
新幹線に連れ去られたように

ホームに動くものはなにもない。



駅周辺のスーパーかなにかのイルミネーション以外

すべてが曇っている。



イルミネーションはその店のもの1つしかなく
いくら高速で点滅を繰り返し、明滅で文字を大きく象っても
単調さと寂しさしか表現できないでいた。



この風景のどこかしらで



性的暴行が行われてようと
小学校の放課後の探検隊がその土地の所有権を主張してようと



どちらもお似合いのように思えた。



ふと

河川に続く長いなだらかな上り坂に人影がみえる。



老夫婦だ。



夫が座る車いすを妻が一生懸命押している。
坂の途中で力つきたらきっとコントのように車いすは
この風景に似つかわしくない躍動感をもって疾走をはじめるだろう。



妻のほうの荒い息づかいが聞こえてくるようだった。
足下はつっかけでなぜ、こんな散歩のルートを選んだのか不思議になった。



坂の半ばで目的地についたかのように車いすは止まった。



夫が遠くを指差している。
妻がそれに相づちをうつ。



その指の先には
河の向こうに建設中の高層マンションがあった。



もしかしたらここでその建物が出来ていく様を観察するのが日課なのかも
しれない。



草木を育てるよりいいかもしれない。



草木だったら枯らしてしまうことだってありえる。
あのくらいの年になったら枯らしてしまった草木の代わりをもう一回
育てるってどんなかんじなのだろう。



それよりはいいのかもしれない。



河の向こうの別世界の自分たちが住むこともない建築物を見る方が。



そんな思考から

携帯がなりつかの間の日常にもどされてゆく。



電話が終わり、喫煙所で一服し終わって、また食堂にかえると
窓の外は寂しいイルミネーションを残して
みないなくなり真っ暗になっていた。



強姦の現場からは加害者被害者ともに去り
あれだけはしゃいでいた探検者もいまごろ家についたろうか。



あの夫婦はどうしたろう。



僕はあの二人の足取りに体のいい物語を付け加えることができずに



一人食堂に取り残されていた。




| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010.07.11

白と黄色






出来たばかりの刑務所は
いやけに静かで清潔だった。

檻の中はからっぽで
まだ見ぬ囚人を待っている。

病院のように整然と区分けされた
その白さは
外界からの情報という菌から隔離されていた。

はじめての
囚人がなぜか1人でやってきた。
愛する女を刺したのだと。

そいつは
白人の太っちょで
肌はいやにつるつるで
伸びてきたヒゲが似つかわしくない
そんな風体で。

監守に食ってかかるわけでもなく
むしろ逆にいつも顔色の悪い監守の
身体を気遣っていた。

「ごめんな、もっと凶悪な強姦魔みたいのじゃないと
 張り合いもないよな」

すると監守はこういった。
「なあに、すぐにそういう連中で溢れかえるようになるさ」

囚人は
なにかを思い出すように妙に高いところにある
がっしりとした窓を眺めてつぶやいた。

「世の中狂ってるよな」

次の日
その囚人は
ボールペンを額に突き刺して
自殺をした。

恩赦で監守が与えた小さなコップには
タンポポが一輪挿してあった。

また、その新しい刑務所には
囚人がひとりもいなくなってしまった。






| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.25

みんなこの想像力をどう処理しているというのだろうか?





大好きな作家はポール・オースターだと
宣言することができる。

だけれど、一番頭の中をぐるぐるまわるのは
と言われると
ミシェル・ウエルベックなんだと思う。

ゆがみっぷりといい
性への倒錯といい
まるでむきだしの性器よろしく シニカルに愛と性と生を語る
孤独と性をもてあまし
「自慰」というよりはむしろ「オナニー」な作風が。
都合良く美女とセックスをする主人公。
それでも充たされない有限な自分という有機体。
精液を垂れ流した後に謳歌する愛と言うドラッグがきれた
あとの寂寥の禁断症状を。

気違いじみた小説は
時には神経質過ぎる尖り過ぎたペンシルで。
時には文字が読めないような太めの筆を使って。
ウエルベックの小説を読み終えたその時って
オナニーの後のティッシュとの語らいに近い。
静寂な、性的で静的な沈黙。
孤独と無音と。

ウエルベックは、100%的中する予言を 僕に与えたもうた。

とある主人公は名声も金も美女も手に入れたが 恐れていた。
自分が年老いて年老いて
性的に不能になったあとの自分自身を。
それを想像し、ブルブルと震えるのだ。
世間を包む、メインテーマの「愛」からはじきだされ
マイノリティになった、
もう抜け出すことができないカーストの末端に押し込められた
自分を想像して煩悶してもがいて精液と涙をを垂れ流し。

僕は
性というものに振り回され
苦しんでいるそぶりをみせているが
性のスイッチが切れたあとに、それを嬉々として受け入れられるのか。
性が与えてくれるやすらぎの替わりを僕はその時見つけているのだろうか。

男と女という二項対立という世界原理を解体し
僕は一体どんな世界を見ているのか。
どんな体で綺麗な浜辺に立っていられるのか。
そんなことに煩悶を繰り返すのだ。

こんなことでぐるぐると思考を空転させ、自分自身のことしか
考エラレナイのかと 人は眉をひそめるのか。
こんなどんなどうしようもない想像力をみんな、
どんなふうに処理してるっていうのだ?

個にこだわるなんて流行じゃないとでも口笛でもふけば
なんとなくやりすごせるのか?

ああ、それはだめだ。
だって、僕は、口笛がふけないのだもの。

だけれどさ、想像してみようよ。
仕事もリタイアして、
性的スイッチもオフにして
ガード下の赤提灯で、独りポツンと飲んでいるっていう
あからさまな寂しさの ポーズをとってみたって、

その時にはさ、だれもだれもかれもかのじょも
救う術なんてしらないんだ。
神様は
性的に、つまりは繁殖という生命のシステムからすでに
その個体を除外している。
つまりその時事実的には僕は神様に スポイルされている。

それに抗って、その個体は
昨日と同じく、5年前と同じく20年前と同じく
それを維持するために食物を噛み砕き、咀嚼し、消化するという
一連の生命維持のためのシステムのスイッチをオフしようとなんて
考えない。

ああ、そうか。
神とか世界とかをしっかり考えられるようになるのって
神から世界からスポイルされて

あとはそれらから、脳という考えるシステムを奪われる
その間際にならないと
本当の意味では不可能なのではないかな。
それが、不能者の生きる意味ってやつなのかもしれない。

水を飲もうとして水をこぼした。
絨毯に広がる水と転がるタンブラー。
絨毯からダスターで水を拭う。
布にひろがった水はタンブラーに収まっていた時よりも
やたらにその冷たさを主張している。





| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009.03.09

トランペットとマネキンは同じ色をしていた。




いつのまにか



空が沈黙というものに取って代わられていた。
鳥が飛べなくなってしまって始めて皆その異変に気付いたのだった。
それは何世紀か昔のシャンパンゴールドのような色味だった。
それは共鳴音を出す間際の金属のような緊張を称えていた。



それは打楽器のような、例えばドラムのような地に属する音ではない。
腹の底に響くヤツではない。



それはもっと高音で耳にくるヤツに違いない。
それが始まってしまったら
元空だったものには断層ができ、雨の代わりに我々に降り注ぐだろう
と容易に想像ができた。
ただ、それは硬いのか柔らかいのか、熱いのか冷たいのか。
降り注ぐ沈黙は、我々にとっては比喩の世界の住人でしかなく、
それを想像する術を知らなかった。
それは空に浮くだけでなにもしてこない宇宙船と対峙している状態と似ていた。
沈黙の静けさと好対照に民衆のざわめきは大きくなってきた。



数日後



調理師見習いのせむし男が逮捕された。
手には沈黙と同じ色をしたシャンパンゴールドのトランペットを持っていた。
それを吹こうと天に向かって突き上げた時、逮捕されたのだ。
取調室では執拗な尋問が続いていた。
沈黙の緊張に耐えかねた暴徒に対するスケープゴートにしようというのだ。



「あの人に、麗しいあの人に、オレが捧げられる一番美しいものを
 捧げたかった、それだけ」



せむし男は同じ内容を拙い語彙を駆使して何百通りも繰り返すだけだった。
おどしを飲み込む知性もなく、
体罰に悲鳴をあげるほど身体も敏感ではなかった。
警察はその「麗しいあの人」に打開策を求めた。
その情報はすぐに見つけられたし、本人もすぐに見つかった。



石畳の3叉路の真ん中に、蛍光の黄色の痛んだ髪をした人がその人だった。
彼女は繊細、優雅、重厚なロココ調の素晴らしい出来の椅子に背もたれを前にして、
その歴史と気品を押さえつけるように馬乗りになって坐っていた。
その姿は粗野で厚ぼったくボンデージで締め付けられている肉はもとは
どこの肉だかわからないほどに矯正され随所にはみ出していた。
椅子は完全に彼女に組み敷かれていた。
彼女は醜かった。
ただし、そんな個人の感想レベルの感性なんてこの場で役に立たないくらい
彼女を取り巻いた警官たちにもわかったようだった。
寒いのか暑いのかわからなかった。
不快なのか快感なのかわからなかった。
ただし、その居心地の悪さの源は全て彼女にある、そう思わざるを得ない
風格を彼女は持っていた。
そんな不安定から解放されるには、彼女の前で屈辱的に見える姿で
うずくまる美男子のように彼女のとにかく慈悲を乞う以外にない、
そう思わざるを得ない妖気を彼女は持っていた。
それは素晴らしいボンデージ姿だった。



「どうせ、あいつは「お前の一番醜いとこはその醜い姿に隠れてる貧相な心だ」、
って言ったことについてうれしがっているんだろ?」



「あいつの性感帯は姿形以外ならどこだって。ウブで敏感なのさ。」
「滑稽で哀しいだろ?」



麗しき人は、左手にもっていた鞭を高々と振り上げ、首輪をはめられ、
全裸でうずくまっている男に振り落とした。
それは奇怪なほど高音で哀しい音で周囲を切り裂いた。
それは沈黙に傷をつけ、
沈黙は涙となって世界に降り注いだ。



沈黙が剥げた後にはがらんどうがあるのみで、
世界は涙で溢れた。



世界遺産の水中都市には
何世紀か昔のシャンパンゴールドのような市民の像がここかしこに散乱しているが、
それは寂れた地方都市のデパートの裏側にほおり捨てられたマネキン風情でしかなく。
たちの悪い現代アートのくずのようでしかなかった。



沈黙も哀しみも

すでにシャンパンのアルコールのようにとっくに飛んでしまっていた。




| | コメント (0) | トラックバック (2)

2009.03.03

死ななきゃなれない冒険家




冒険家は冒険途中に死ぬべきらしい。
カフェで隣の席の
おっさんが熱くなっていた。

そういう意味ではね。
現代冒険をするにあたり
人類に必要なものってなんだかわかるかい??

それは
勇気?
好奇心?

そりゃそうなんだけれどね
それはインフラさ。
単独行ができる環境さ。
むき出しになれる環境さ。
北極にね
橇と毛皮と、あとウィスキー
みたいなね。

宇宙?
まだまだ未開で未熟だから冒険なんてできやしないよ。
ん?
未開だから未熟だから冒険できるんじゃないかって??
それじゃあ君は宇宙に単独行でいけるのかい?
むきだしになれるのかい?
NASAの管制塔なんかとアメリカンジョークなんて
いってちゃあだめなんだぜ?
アポロ13は別の勇敢なんだぜ?

SFなんてもんが20世紀になってなんでしきりに描かれたかわかるかい?
それはむきだしになりたかったのさ。
まどろっこしかったんだよ、宇宙でむきだしになれるほどの
技術が進歩するのを待つのが。

おっと話がそれたね。

そのおっさんの言い分ってなかなか示唆に富んでいて難しいことを
扱ってるのだ。

冒険家は冒険途中に死ぬべきらしい。

冒険ってのは純粋なことを言ってしまえばね
見た事も聞いた事も想像した事もないリスクを取るってことだとしたら、
きっと
冒険家は人生で一回しか冒険なんてできないんじゃないのか?
ってことが頭をよぎるのさ。
二回目からは一回目の追体験なんじゃないか?
「前よりも危険なリスクを!」と考えたとき、自分でリスクを
作ってしまうのではないか?

そうするっていうと、そのおっさんの理論を突き詰めて行くと
「冒険家は最初の冒険途中に死ぬべきらしい。」
ってことになるね。

○○家って専門家ぶってそれでお金を稼いじゃったら
冒険家なんて言ってしまったら、汚れちゃうんちゃいますか?
おっとそもそも論だけど
こんな話カフェでカフェラテ飲みながら離すことじゃなかったね。




| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009.02.25

契ることが目的で守ることなんて二の次なのさ。





「心中」

心中(しんじ(ぢ)ゅう)は、相愛の二人が一緒に自殺すること。
情死。
転じて2人以上で一緒に自殺することにも用いる。
正確に意訳できる英単語はなく、大和民族独自の死生観と言われる。
心中とは他人に対して義理立てをする意味で用いられていた
(心中立。しんじゅうだて)が、江戸時代には、
刺青や切指等の行為と同様に男女の相愛を意味するようになる。

心中立には、
誓詞(せいし)、
放爪(ほうそう)、
断髪、
入れ墨、
切り指、
貫肉
があった。


日本独自といえば「粋」が有名だが、
「心中」もそうらしい。

江戸時代社会現象にもなり、禁止令もでた「心中」に
いたく共感するのは
その生をもって思いを云々する、というところではない。

それは

closedな関係を欲している

というところだ。

友達の友達、その友達なんていうふうに広がって行く友好関係を陽
とするならば、こちらは陰。

僕は確実に陰の関係に重きをおく傾向にあるし
それが強まっている自覚もある。

その2人逢う以外になんの生産性もない関係に憧れて、
ともかく、約束を契りたくて
血を流し、涙をながし。
それが蔓延する社会。

そんな社会が危ういかというと、実はそれでも飄々と生き延びる
生命力も持っている。

契りは契約ではなく、
契りは将来の心変わりを罰する番人ではない。
契りはまさにその交わした瞬間の心の証明、ただそれだけである。

だからこそ、
未来のどんな悲劇だって

傷つき、傷さへも糧に。
涙で、苗を育て。

誇りになんて思わない。
でも、
ぢっと自分の手をみてその血潮を思うとき
自分の中に同じ物が流れていると
しみじみ思う事がある。

それがなにかの証明であるかのように。





| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.11.27

あかさたな





あかさたな
そんなルールがあるんだよ。

あかさたな
たのしいな

あかさたな
そんな規則があるんだよ。

あかさたな
うれしいな

あかさたな
そんな制約があるんだよ。

あかさたな
きれいだな

ABC
ってのもあるけれど

あかさたな
はまやらわ

あかさたな
でも伝わらないことだってあるんだよ。

あかさたな
くやしいな

あかさたな
でも伝えたいひとがいるんだよ。

あかさたな
せつないな





| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.11.16

ブラック&ホワイト





急激な
ストップ&ゴー

唐突な
ラブ&ヘイト

仁義なき
ハイ&ロー

素晴らしき明度差というトーンジャンプの果てには
素晴らしき冥途が広がっている。
色相から色相へのワープを
君は文脈を失ったと色を失うだけなのかい?

呼吸を停めたその先には何が見える?
目を閉じたその先には何が見える?
思考を停めたその先には何が見える?

徹底的な
ブラック&ホワイト
おもわせぶりな
ブラック&ホワイト。

けっしてまぜちゃあいけないぜ?
ねえ
何が見える?
なあ
何を見てる?





| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.13

辺境の雨粒





下北沢の古本屋さんでギネスを飲みながら
本を物色。

『地球を抱いて眠る』駒沢敏器著をゲット。
そのお店の本棚、というか内装は檜でできていて、
さっき買ったその本を開いたら
檜の香りがふわーっと。

彼の出自を、流通して流れ着いて身を寄せていた
その場所を香りであらわすなんて。

この本の書き出しはこうだ。

 旅行作家のブルース・チャトウィンが最後に残した著書は、
 いつものように素晴らしい書き出しの文章で始まっている。
 「どうして僕はこんなところで、
       そしていったい何をしているのだろう」

 この呟きは、存在することじたいの哀しみを指し示している。
大航海時代なんて例にあげるまでもなく人間は外に内に辺境を求めてきた。
日常のカウンターカルチャーとしての辺境。
たしかにここにいるんだけど、消えることのない違和感。
たしかにここが自分の居場所なんだけど、消えることのないいわれなき不安。

異境、辺境、パラレルワールド、未来、過去、異惑星、多人格。。

僕らはいつでもトラベラーになり、色々な世界をのぞく。
そして、結局磁力に吸い付けられるように日常にもどる。

そんな違和感は強烈に根深く人間の根源に植え付けられていて
それは
神だとか悪魔なんてものまでも作り続けてきた。


雨が降っている。
いや、「降っている」というのは誤謬を含む表現だ。
雨粒のその輪郭までありありと見知ることができ
行列のように、その雨の奥行きまでがしっかりと知覚できる。

僕が地面に向かって視線を降ろせば、雨は「降っている」
僕が天に向かって視線を上げれば、雨は「昇っている」

だから誤謬といったのだ。

白いドレスを着た子供たちが踊っている。
足には大人用のウィングチップの黒いブーツを穿いている。
無音、無空のなかで
リズムは、彼らの輪郭だ。
彼らのエッジが強烈に見える子はいまアップテンポだ。
彼らのエッジがぼやけて見える子はスローなバラードだ。
彼らが踏んだステップで弾けた雨粒は、飛散して、細かい雨粒になり
消え入る。
僕らの世界は暗闇に近いほどのグリーンで
禍々しさと神聖さを併せ持っている。
彼らのダンスはバラバラで、シンメトリーだ。
雨のおかげて僕はずぶぬれだ。
ここにくるといつもそうだ。
でも、ここの雨はぬくい。
自分の体温よりは低いのだけれど、不快ではないし、
身体を動かさなければ数時間はそこに居れそうな温度でもある。
雨粒は360°その世界の全てを記憶して映し出す。
世界は雨粒分だけ存在し、雨粒が落ちるその瞬間瞬間増幅される。
僕のまわりの雨粒は僕をも映し出し、合わせ鏡のように
僕を増幅肥大させる。
世界が僕を映し出して、肌色や色々な混合色となって飽和して
僕はまたもとの世界にもどる。

僕がたまに見る辺境の世界。
僕は辺境を刻みたいが故にこんな日記を書いている。
今、手にとっているこの本も
「こんなところで」などと思っているのだろうか。
でも、檜を纏った君は幸せ者だよ。
そして僕もね。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.08

グリーンのメタファー、それはジャックのせい。





にょきにょきとそれは天にも届くのさ!

僕はあの豆の木の豆を
空豆だとずーっと思っていた。

だって

空の豆だぜ?
broad な
beanだぜ?

ふつう豆ってさギュッって凝縮されているイメージがあるけど
サヤをあけると雲の上に配置された3粒の空豆。
ふわふわさ。
そりゃあ天空に所属するでしょう、この御豆。
と思っていたらさ

wikipedia調べでさ、

『そらまめ』
花弁の黒点が死を連想させたため、古代ギリシャ人はそら豆を葬儀に用い、
中にはそら豆を不吉として嫌う向きもあった。

!!!!!

古代ギリシアの数学者・哲学者で『ピタゴラス(三平方)の定理』等で有名な
ピュタゴラスはそら豆の中空の茎が冥界(ハデス)と地上を結んでおり、
豆には死者の魂が入っているかも知れないと考えた。

!!!!!

すげえ!
この豆、天空と冥界に繋がっている!!
そうだよね、そうだよね。

ジャックの豆の木もさ、
天空に伸びる木だけとりざたされてるけどさ、
それを支えるだけの根っ子の話には触れていないよね。

絶対すごいことになっているよ!
土という土をかきわけて、それこそ冥界入りしてるよ。
ジャック、豆の木おっちゃったけどさ、
今度は冥界からなに盗んでこようか?





| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧