Damien Hirst(ダミアン・ハースト) 『 VOID』
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1965年イギリス生まれの新世代アーティストの代表格、ダミアン・ハースト。
そんな彼の代表的な作品25点を収録したカタログ。
勿論あの「Pharmacy」も収録。
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1965年イギリス生まれの新世代アーティストの代表格、ダミアン・ハースト。
そんな彼の代表的な作品25点を収録したカタログ。
勿論あの「Pharmacy」も収録。
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ロバート・サブダ オズの魔法使いポップアップ(ハードカバー)
ボームの不朽の名作『オズの魔法使い』の100周年記念に、
ペーパーアーティストのロバート・サブダが手がけた
ゴージャスな飛び出すポップアップ絵本です。
舞い上がる竜巻、空に浮かぶ魔法使いの気球、
ホログラフホイルを使ったエメラルドシティなどの特殊効果に、
お子さま用の緑のサングラスまでついています。
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とにかくトム・クルーズに完敗! 乾杯!
性のカリスマ伝導者フランク・T・J・マッキーが彼の役どころ。
ギンギンギラギラSEXを説く姿は、まさに水を得た魚のよう。
ゴールデン・グローブ賞優秀助演男優賞に輝いたのは大いに納得。
はてさて偶然か必然か?
この世の不思議なめぐり合わせ。
一見ばらばらだったことが、ある瞬間1つに繋がることがある。
人は自分の生き様を自ら問う瞬間があるのかもしれない。
この
映画はその瞬間を、想像を絶するカタチで見せてくれる。
この物語のキーワードとなるラストシーンは圧巻だ。
監督は『ブギー・ナイツ』でその名を馳せた
ポール・トーマス・アンダーソン。
本作でアカデミー賞ノミネートをはじめ
ベルリン映画祭金熊賞(グランプリ)受賞。
20世紀を代表するヒューマンエンターティメントして拍手喝采!
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この189分に躊躇するなかれ。
あっという間の複雑に絡まるようで、単なる街でそれぞれが
通り上で交差するだけのすれ違いのような群像劇。
この189分に意味なんてもとめてはいけません。
意味がありそうで、結局「なんなの?」、結局そんなつかみどころの
ないものが人生なんだよ、と思わせてくれるはずです。
自分の死の宣告にもかかわらず家族が離れていってしまう
ベテランTVクイズ司会者。
誇り高き、善良な警察官。
最高のチャンスの時に皆に指差されバカにされるようなミスを。。
等々、見てて飽きない。
この長さなのに、なんでしょう、また見てしまいそうな予感は。
サントラもよし。
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悪い事をしながら善い事をし、
善い事をしながら悪事を働く。
心を許し合う友を欺して、
その心を傷つけまいとする。
全く人間とは奇妙な生きものよ。
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17歳の息子を交通事故で亡くした、シングルマザーのマヌエラ。
彼女は「お母さんの小説を書くために、父のことを知りたい」と言っていた
息子の願いをかなえるため、青春時代を過ごしたバルセロナに向かう…。
この映画のヒロインは、すべてを「許して」生きている。
自分を捨てた男、その男の子を身ごもった女、高慢な女優などに対し、
不愉快なことをされても、傷つけられても、許すのだ。
どんな人間でも包みこむ、その大きな愛は、母の子どもへの愛情そのものだ。
スペインの巨匠、ペドロ・アルモドヴァル監督は、
ヒロインを通して女性の母性を描いた。
彼の女性への尊敬のまなざしが全編に満ちている、
まさに女性賛歌の映画といえよう。
アカデミー外国映画賞受賞作品。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
息子の誕生日祝いに『カメレオンのための音楽』 トルーマン・カポーティ(著)
を息子にプレゼントし、「母さん読んでよ」、とせがむ息子。
う〜ん、洒落ている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
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【アートワーク】
古屋蔵人×小田島等×黒川知希共著
【アートワーク】
・稲葉英樹
・井口弘史
・大川久志
・草野剛
・広岡毅
・AMG design
・佃弘樹
【コラム執筆陣】
・乙一
・森本晃司
・仲俣暁生
・宇川直宏
・定金伸治
・海猫沢めろん
・近代ナリコ
・石丸元章
・湯浅学
・三田格
・磯部涼
・荏開津広
・多根清史
・ロビン西
・根本敬
・ECD
・掟ポルシェ
・ブラックガニオン
・井口弘史
・前田晃伸
・植地毅
・佐々木景
とういうラインナップでおくる短編小説(+グラフィック、イラストレーション)
2027年 世の中から書籍が姿を消した世界をそれぞれに表現した作品群。
そのストーリーにでてくるレシートやチケットなどがはさまっていたりと、
ぴりりとグラフィック、効いてます。
::関連URL::
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東京ミッドタウン内のデザイン施設
21_21 DESIGN SIGHT の第1回企画展「チョコレート」。
ディレクターはプロダクトデザイナー深澤直人さん。
「10人のうち9人はチョコレート好き。
そして10人目は嘘をついている」
アメリカの漫画家、ジョンG.トゥリアス(John G.
Tullius、
1953年生まれ)の言葉です。
誰もが親しみをもって受け入れている不思議な食べ物、チョ
コレートは、食べ物という存在を超えて、生活の
至るところ
に顔を出します。その、「すでに共有されている感覚(感触)」
を通して世界をとらえてみるとどうなるか、それが今回の展覧
会の試みです。
もちろ
ん、チョコレートそのものの作品も登場しますが、それ
だけではありません。
チョコレートから見た世界を、一緒に味わってください。
(深澤直人さん 21_21 DESIGN SIGHT HPより)
いつもお口を楽しませているチョコをたまには
お目々にも与えてやりましょう。
ミッドタウンのショッピングの合間に覗いてみては?
(会期4/27より)
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以前、メインサイトを立ち上げはじめに紹介した
今も本棚のメインを飾るこの作品集。
こっちの世界に手招きした思い出の品。
今では本屋の在庫かオークションでしか手に入らないでしょうが。。。
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尋問者は見失う。
自分が追いつめている囚人を問いつめる鋭利な洞察とうらはらに
自分もその弱き囚人と同じ人間なのだということを。
盗聴者は見失う。
自分が盗み聞いている容疑者の織りなすストーリーのなかで
自分が反逆の証を探っているということを。
・・・
『善き人のためのソナタ』
観てきました。
時は1984年11月の東ベルリン。
全国民が10万人のシュタージ(国家保安省)職員と
その協力者20万人によって監視、盗聴、密告されていた時代。
劇作家のドライマンと彼の恋人の舞台女優・クリスタが反体制的
であることを突きとめるべく
シュタージ職員のヴィースラーはドライマンの家を24時間盗聴
する任務に就く。
ヴィースラーは冷酷なまでの尋問のプロ。
最初はそんな2人を暴こうと執拗な眼光を輝かせていた。
しかし
ドライマンとその周りの人々の
自由な人間らしい豊かなやりとりに浸食されていく。
ドライマンの反体制派演出家の親友・イェルスが
国から職業の自由を奪われ自ら命を断った時
ヴィースラーの頬には涙があった。
しかし、西の雑誌の表紙に東ドイツの現状を告白する
反体制文書が掲載される。
その書き手を追うシュタージ(国家保安省)の魔の手は
ヴィースラーよりも強大な権力をかさにドライマンと
クリスタに襲いかかる。。
ドライマンは
クリスタは
無事難を逃れる事ができたのか
ヴィースラーは
職務を遂行するのか
彼らを守るのか
それは映画をみてのお楽しみ。。
・・・
ドライマンの反体制派演出家の親友・イェルスは
国、権力から演出家としての存在を抹消された。
彼が失ったのは演出家としての生命だけではなく
友だと思っていた輩
仲間だと思っていた輩だった。
ドライマンの誕生日パーティでも
イェルスは腫れ物扱い。
誰も寄付きもしない。
そこにドライマンは彼に心から尊敬していると
励ます。
そして
クリスタを励まし、陰ながらドライマンに拍手と
庇護を与えてきたヴィースラー。
僕は彼らに
本当の人と人との結びつきをみた。
「こんなことをしてなんになる」
そんなへたしたら自分を破滅に導くような行動。
しかし、自分の想いにしたがい、アドリブで
その結びつきに導かれ進む。
それは奇しくも、ヴィースラーが尋問の授業の際に生徒に
教えた内容と一致する。
「嘘つきは、覚えてきた言葉にすがろうとする」
そう、それを太陽にかざすと
「真実を見据えるものは、自分の想いで行動する」と言い直すことが
できる。
体制だとか反体制だとか
そんなことではなく
思想なんてものでもない
それらは皆「たくらみ」だ。「謀り事」だ。
それらには目指す頂点がある。目指すゴールという幻想がある。
そのためにはどんな犠牲も辞さないという傲慢さがある。
そんなものでできた結びつきは一度切れたらそれまでだ。
それどころかゴールへの重しであると判断したらはさみで切ればよい。
道の真ん中で邪魔だったらはじにどけてしまえばよい。
だけど
本当に人と人とが1対1で結びつくことができる絆はそんなものを縁と
するものではないのではないだろうか。
結びつけるものは思想なんてものではなく
自然と頬をつたう涙であり、微笑み返す笑顔ではないのだろうか。
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フィリップ・K・ディックの小説「暗闇のスキャナー」を原作とするこの作品。
(もしくは「スキャナー・ダークリー」)
実写とアニメを重ねあわせて独特の雰囲気は。。。
エンライトメントの作品群とだぶるんですけど。。
例えば"2-delight"
例えば"audio sponge (SKETCH SHOW)"
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『ガタカ』
だいぶ昔の映画ですが、お気に入りなのでご紹介を。
(昔書いた記事を発見したので。。)
「今や差別は科学の領域だ」
全ての評価は遺伝子によって判断される近未来。
遺伝子に欠落(近視や性格まで)があるものは
「不適合者」として、社会的に抹殺されていた。
特に遺伝子に欠落を嫌う宇宙飛行士に、「不適合者」
の主人公が不慮の事故で社会的使用価値がなくなって
しまった「適合者」と組んで挑もうとするのだが。。
ユマ・サーマンとジュード・ロウがはまり役。
かなりかっこいい。
(ジュード・ロウだったからあんなにせつなかった
のだろう)
あとはセットがオシャレなのに加え、
主人公のイーサン・ホークのナレーション以外は
最小限の台詞で構成されているのが独特の無機質
感をだし、未来感、感情等、人間らしさを排した
世界観をよく表現している。
決め台詞は
「ごめん、風にさらわれてしまった。。」
(だったと思う。。)
*相手に「疑っているんなら私の遺伝子調べてもいいわよ」
といって、自分の髪を差し出すシーン。
個人的に頭から離れないのはユマ・サーマンが(役名
忘れました)がイーサン・ホーク(役名忘れました)
の髪の毛を1本サンプリングして、遺伝子解析所み
たいなところへ持って行き調べる場面。
オシャレな筒におさまっていとも簡単に相手の情報が
手に入れられていた。
そして彼女は彼に「思った以上にエリートなのね」と
言う。ありえないけど、ゾッとする。。
なにかのデータをチェックするように相手に見られる
のは避けたいね。。
テーマ的には兄弟根性試しの水泳がよくあらわして
いる。
「はじめから引き返すことなんて考えないで全力で
泳いだ」という「非適合者」の兄。
どうして遺伝子的に優れているのに兄に負けたかわか
らなかった「適合者」の弟。
この他人の評価よりも、どうしたいのか?
なにに価値を求めるのか?その大事さ、つまり
自分の価値感をしっかり持つ事でその人の能力は
決まるのだということではないだろうか?
誰かに評価されることに慣れてしまった、
誰かに認めてもらうことでしか自分の価値を見出せ
なくなってしまう「適合者」は本当に「適合者」な
のだろうか?
というところがポイントだと思う。
企業も自分の求める者をふるいわけるためにわかりや
すい(はずれがない)遺伝子という指標を絶対視する
のではなく、全く予期しない大当たりも必要なのでは?
同じ遺伝子だけだったら死滅するのみではないだ
ろうか?
ただのコンプレックスではなく、
なりたい自分になるための障害の1つ(かなり大きな)
が遺伝子であった、というところに心地よさがあるの
かもしれない。
逆に微妙に「不適合者」の肩を持ってしまう僕は、
やっぱり「不適合者」であるという自覚があるのだと、
落ち着かなくさせるのだけれど。。
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『ナガオカケンメイの考え』
D&DEPARTMENT主催のデザイナー兼プロデューサーの
ナガオカケンメイさん の日記、『ナガオカ日記』が本になりました。
D&DEPARTMENT
とは東京、大阪にあるインテリアショップ(ダイナーもあります)。
*もともとが、デザイン事務所の
DRAWING ANDMANUAL
が母体のプロジェクトの一つだった。
基本、デザイン事務所のビジネスはB to B。
だけど、その産み出すもの、デザインは消費者と密接に繋がっている。
にもかかわらず、一般消費者に好きなグラフィックデザイナー、
webデザイナーを聞いても思い浮かばないというほど、その距離は遠い。
デザイナーが消費者と直で向き合う試みもあったとしても、
それは、例えば、そのデザインのグッズを売る程度のもの。
もしくはデザインイベントという、内輪のみでも盛り上がり、完結できる
ようなものしかない。本当に消費者を意識しているものはごく僅かなのである。
そんな中、このD&DEPARTMENTの存在は際立つ。
説得力がある。
D&DEPARTMENTという売り場で、ダイナーで食事をしてもらうことで
デザインというものを、そこに来てくれた人の満足や心地よさの潤滑油と
して、スパイスとして使うことに成功している。
そんなD&DEPARTMENTの舵をとっている代表ナガオカケンメイの考えて
いることがこの本で垣間みることができる。
会議だからプリントを用意すればいい、、、。
それだけでプリントを用意している人は多くいると思います。
そのプリントはその人に手渡った時にどんな威力を持っていて
ほしいか。
それはイメージできているであろうか、、、。
ひょっとしたら、ゴミになってしまう可能性はないだろうか。
せっかく会議のために作った資料が、上司の机の上の山に
積まれて、その上に荷物が覆いかぶさっている。
この状況を、「だらしない上司」と片付けてはいないだろうか。
自分の提案とは、上司にプリントを手渡すという行為ではなく、
会社の中でそれをどう進めていくかというところにポイントは
ある。
上司の机の上に眠らせてしまったら、そういう資料を作ってし
まった責任は、提出者にも多分にある。
『ナガオカケンメイの考え』より
穿ってみれば「あたりまえ」であるかもしれない。
ただ、その「あたりまえ」を目の当たりにすると、
いかにそれができて いなかったか気付く。
それどころか、それが頭の中、心の中に無い、
欠如していることに気付く ことすらある。
これはデザイナーが書いた極めて限られた人のための本ではない。
真剣に
デザインとは
物を造ることとは
物を売るということとは
人をもてなすということとは
を考えている人すべてに送られたものなのである。
ナガオカケンメイの航海日誌はコレ
D&DEPARTMENTの航海の軌跡ならコレ
ナガオカケンメイがやろうとしていることは
僕はある種、企業経営としては理想だろうと思う。
それが、簡単に「夢」なんてうすっぺらな言葉でかたずけられるのではなく、
消費者もそれに賛同して、今後とも存在してゆけるのであれば、
僕はそれを今僕らが住まう社会というものの一片の希望を称してもよいのではないか、
そう思うのです。
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「日本の伝統住宅には場、部位、しつらい、境界、素材にまつわる、多様
な用語や言葉があった。」という。
ある空間をなにか意味のある場ととらえ、そこにある形式に則りしつらう。
そこにはその場と、そこに住まう人々の強力な、密接な関係がみてとれる。
リビング、ダイニング、キッチン。
僕らの住まいはそのように分類されていることが多い。
その要素が簡略化されるということは、生活に対する意識が、美しい所作を
忘れるに等しい。
上記の場を自分で持つには財力が必要だ。
だけど財力を持つ前にその心は受け継ぐことができる、本書はそのとっかか
りとしては最適である。
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2006年クリスマスのLouis Vuitton(ルイ・ヴィトン)のショーウィンドウは
全世界でOlafur Eliasson(オラファ−・エリアソン)によって作成されます。
"EYE SEE YOU"と冠されたディスプレー群はウィンドウ越しに見る商品と、
さらに自分とで作られる一種のアートといって趣き。
オラファ−・エリアソンの作り出す "eye" は熱を帯び、その瞳は無視する事
はかなわないでしょう。
ルイ・ヴィトンはクリスマス商戦に血眼になる必要もない磐石な基盤、ブランド
がある。
商品を全面に、「買って!買って!」と息巻かなくてもいいのだ。
そんなブランドだから、今回のようにアートを汚すことなく、ビジネスと結びつ
けることができたのだろう。
:::Olafur Eliasson(オラファ−・エリアソン):::
1967年デンマーク生まれ
コペンハーゲン王立芸術アカデミー後、2003年ヴェネチア・ビエンナーレでは
デンマーク代表として活躍。
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僕は「トリックスター」に憧れている。
「トリックスター」とは
例えば、アメリカ先住民の神話に頻繁に登場するコヨーテなんてのが
代表的な神話の登場人物のことである。
トリックスターは通常の論理では分離されている対立的な項を、
矛盾をおそれることなく結びあわせてしまうために、まことに
トリッキーな行動をする。
このコヨーテの場合だと、もともとが死肉、腐肉を食べる習慣を
もっているために、
生と死という通常の生活の場では分離されている二つの領域を、
自在に行ったり来たりできると考えられていた。
その此岸と彼岸を行き来できるそんな孤高に僕は憧れているのだ。
此岸、今の社会の秩序を全てだと盲信し、それに縛られ絞られる
だけではなく、
此岸に自分の生が、生活があるのを忘れ彼岸に逃げ込むのでもない。
とらわれず、一見矛盾しているものもつなぎ合わせてしまえる、
そんなタネもわからないようなトリックを使えるようになりたいのだ。
さて、「トリックスター」について中沢新一さんが
著書『芸術人類学』のなかで白眉な文章を書いているので、
少々長いが引用させてもらう。
ふつうの思考では、トリックスター的なものはなかなか表面に
出てこないようにしている。
生と死のようにお互いが分離された論理項を論理的矛盾をおか
さないように組み合わせることによって、「正常な思考」がお
こなわれなければならないからである。
ところが、トリックスターが登場してきたとたんに、事態は一
変する。
そのとき、それまで思考の表面にあらわれてこなかった対称性
の知性が浮上して、人々は自分たちをとりまく世界の意味をバ
イロジックによって思考しはじめるからだ。
合理的な判断をそのつど要求される昼間の活動では、人々の心
にバイロジックが作動し出すのは危険なことである(狩猟の現
場では、人間はあくまでも熊の潜在的な敵なのである)。
ところが、夜になって仕事も終わり、外敵の危険から守れれて
いる火のまわりに人々が集まっているときには、彼らの心の内
部でむくむくと対称性の知性が立ち上がってくることが許される。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
トリックスターはこのようにバイロジックの活動を呼び起こす
メディエータ−なのである。
秩序をひっかきまわしてカオスを導き入れるとか、こわばった
状況を揺り動かすなどと語られるトリックスターの属性は、心
の内部でおこるこのバイロジックの呼び覚ましがもたらす事態
の二次的表現にすぎないのではないだろうか。
トリックスターは善悪の彼岸にいる。
それはバイロジックによって思考するときの人の心が、社会が
認める善悪の判断など越えたものごとの真理に触れようとして
いるからなのだと思う。
つまり、バイロジック思考の全域でうごめいている
「矛盾=ねじれ」を集約して、それを神話の登場人物としての
姿をあたえれば、それがトリックスターなのである。
つまり、僕らは昼間仕事なんかをしているときは「正常な思考」を
もとになにかを判断し決定し、循環するという100%此岸にいる立場
をとる。
上記に記されているように、
例えば、昼間の仕事中(狩猟中)に熊に神話的要素なんかを
加味しちゃったらがぶっ!とやられてしまう。
例えば、火事が発生した現場で、火に彼岸を見て、対話なんかを
始めてしまったら延焼はなはだしく、もし、彼が消防士であれば、
職を失うし、当の本人だったら家財道具、へたすると命をも失う
こととなってしまう。
だけど、その循環からはずれる、アフター5(って今言うのかな?)
には彼岸との行き来が本来は許されているはずなのである。
だれでもトリックスターになれるし、もしくは、トリックスターを
従えて彼岸に行く事ができるはずなのである。
そういう意味では僕らは今、どんどん、そのトリックスター的な要素を
失っているのではないだろうか。
残業を繰り返し、此岸の中で、此岸しか見えていない。
そこから見えるもののみを真理とし、有為とし生を全うする。
それは一種の原理主義だ。
僕はそこに違和感を感じる。
だって、今僕のいるここは全能ではないと思っているからだ。
完璧ではないと思うからだ。
この閉塞感あふれる世の中に風穴をあけるうるのは、
ここでしか通用しない、ここで生まれた真理だけなのだろうか。
僕はこのトリックスターのいなくなった夜にそんなことを思う。
トリックスターが飄々となににもとらわれず、
この社会を軽快に駆け抜けていく姿を想像しながら。
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ロスコ:アンタイトル,1968(レッド/ピンク)
Rothko: Untitled,1968(Red over Pink)
昔、日本には欧米と違いポスターという市場自体が存在しないと言う話になった
ことがある。
シルクスクリーンだから、そのままでちょと無造作に貼ってみてもよし、
(このくらいのポスターなら丸めて置いておいて、インキが割れてしまって
もロスコは許してくれそうな気がする。)
ちゃんと額装してシャキっと壁に立て掛けておいてもよし、
(額装のほうが高くつくが、「そういうもの」という常識も身に付くし)
けっこう部屋のアクセントになると思うのだけれど。。
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ちょっと旬な時期より遅れてしまいましたが。。
大阪の堂島ホテルがリニューアルオープンしました。

僕は行っていないのですがオープニングパーティはgrafの服部さんやら著名人
がいらしていて、
西のカルチャーの震源地になる予感をひしひしと感じさせるものだったようです。
ちなみに室内はこんな感じの様です。。
インテリアデザインはインテンショナリーズ.。
今家電業界に新旋風を起している「amadana」のデザインでも有名。
そしてグラフィックデザインはタイクーングラフィックス。
こちらは表参道ヒルズのグラフィックでも有名。
ホテル内にはアート、デザイン、ファッションをメインとしたブックショップ
Hacknet(ハックネット)が店を構える。
さて、ここで思いだされるのはこのタッグは東京でも数年前にみられたぞ、
ということ。
東京目黒のホテルニュー目黒改め、CLASKA(クラスカ)である。
この2つのホテルはカルチャーの東西横綱ともいえるかもしれないが、
その構成要素を見ると血を分けた兄弟だということがわかる。
さて、僕は大阪に行く機会は特にないので行かれた方は感想教えてください!
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映画『ホテルルワンダ』のDVDがでました。
994年にルワンダ内で100日で100万人とも言われる大虐殺が
おこり、それを題材としたノンフィクション。
それについては日記の方で長々記したのでここでは割愛。
“怖いね”と言うだけでディナーを続ける。
というのは虐殺現場を撮影することに成功した報道記者の言葉。
その映像を世界に流しても、皆、“怖いね”と言うだけで
ディナーを続けるだろうと悲観にくれる場面のものである。
などとDVD発売で思い返していたら
丁度読んでいる本にこんなエピソードが。
「ハゲタカと少女」という有名な写真がある。
内戦と飢餓に苦しむスーダンで、飢えのため地面に倒れこんだ少女と、
彼女を襲おうとするハゲワシを撮ったこの写真は、
1994年度のピュリッツア賞を受賞した。
しかし、その直後、写真を撮る前に少女の命を救うべきではないかとの
世界的な論争に発展し、カメラマンであるケビン・カーターは自殺した。
このエピソードを僕は時おり思いだす。
報道が持つジレンマを最も端的に体現していると同時に、映像の本質についても
重要な提言が隠されているからだ。
『世界が完全に思考停止する前に』 森達也著
きっと、そんなジレンマを抱えずシャッターを押す人なんていないのだ。
そんな思いも受け取る事ができるか。
彼は受け手である僕に問いかけてきたような気がする。
単に「彼女が可哀想だ。非人道的な行いだ!」と憤慨するのではなく
単に「怖いね」といってディナーを続けるのではなく
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夏ですね。
蝉が鳴いてますね。
空がきれいですね。
雲がおっきいですねえ-。
子供たちがどこかでなにやら騒いでます、うるさいー。
今日は家の掃除をしました。
じっとり汗をかきました。
なんだか、ビールよりコーラの気分です。
汗のしみこんだよれよれのタンクトップに
赤いタンパンでさっと家をでます。
目の前の自販でコーラゲットです。
いい風です。
気付けばとなりの世田谷観音と公園の木々が伸びざかりで
道路を緑のアーチで覆っています。
風が吹くとそれに合わせて葉っぱが鳴るんです。
なんか、「今日」なんですよね。
「明日」でもなく「昨日」でもなく。
「今を生きる」なんて片意地をはるのではなく
「今が大事」とかではなく
なーんか、今日、今、ここなんですよねー。
なんか「満たされてる」んですよね、満足なんですよね。
人間いろんな欲望があるじゃないですか。
それを全て自前で人間で作って満たしてやろうと思う。
すると、なんででしょう。
満たさなきゃいけない器をおおきくしてしまうんでしょうか。
それを満タンにするのってすっごく大変なんですよね。
でも、今日は
自前で揃えなくてもいいんです。
おっきい表現でいうと
地球がほとんど揃えてくれてるんです。
だから、
500ml,\150で満たされちゃうんです。
僕の用意したものは\150
それが満足の値段。
このごろ、「満足の値段」が高くなっている気がしていました。
だから、なんだかほっとしました。
そして、今日の音楽は
UA x 菊地成孔
の
『cure jazz』
です。
「僕らはその晩、リズム感という人類最古の教養によって
完全に繋がってしまったという訳だ。」
というように、菊地からのラブコールで成立した一回限りのコラボ盤
である。
そして、タイトルについて
「タイトルが意味する治癒が、何にたいしてどのように施される物
かは説明できないが、僕は人類史とは治癒の歴史そのものだと思っ
ている。見知らぬ人の一瞬の笑顔から三日三晩に及ぶ大手術まで
が我々を治し、癒す。あらゆる場所で何度でも再生/治癒が可能
なCD盤はこれ限りである。」
と治癒について語っている。
僕はそんなCDに治癒され、その値段は\3045。
年を取るにつれ
治癒に時間もお金もかかるのだ
と
しょうしょう元気がなかった僕だけど
仮に年を重ねるにつれ教養というものをいくばくかでも備えている
のであれば
治癒にもお金がかからないのではないか
そう思えた
そんな一日でした。
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